ようやく気持ちも落ち着いてきたので今日から三沢光晴社長との思い出を綴って行きたいと思います。
まず最初に三沢社長を知ったのは当時発刊されていたプロレス百科事典みたいなムック本で全日本期待の若手勢として砧の道場で汗を流す越中詩郎選手、菅原伸義(アポロ)選手、三沢光晴選手、後藤政二(ターザン)選手、冬木弘道選手でした。
この面子と言うことは昭和57年くらいですかね?
当時小学校低学年の私は生観戦などできるわけもなく、もっぱらはテレビ観戦と雑誌やこういったムック本を読むのが楽しみでした。
当時からマニアックな私はこういった若手の試合も見たいと思てましたがいつも画面に映るのは馬場選手、鶴田選手、天龍選手と外国人選手でした。たまーにアジアタッグ選手権があって小鹿&大熊の極道コンビや石川敬士選手、佐藤昭雄選手、マイティ井上選手が映ると大喜びしていた変わったガキンチョでした。それが昭和58年春の若手リーグ戦であるルーテーズ杯争奪リーグ戦の決勝戦で遂に越中対三沢がテレビで見れる事が嬉しくて嬉しくて楽しみにしていた覚えがあります。
試合は越中選手のラッシングファイトと三沢選手と空中殺法がスイングした若さ溢れる試合だったと思います。
これが三沢選手が初めて動いている所を見た日でした。
その後両者が全日本プロレス女性社員に見送られてメキシコに武者修行へ出発する写真を雑誌で見て、あの三沢スマイルの原点でもあるハニカミ笑いを見て爽やかやなーとガキンチョながらに思ってました。
あれから26年なんですね…
今日の画像は広島グリーンアリーナの全景模型
◎◎◎◎テレビ局がみつけたイイもの買えます!◎◎◎◎
メ〜コレ 齋藤彰俊の天下布旅内アステカ食堂の記事
http://www.mei-colle.com/index/contents/th20/saito

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