2019/3/19

過日の夕焼け  Daily Life

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3月中旬だというのに、こちらはまだ霜が降るような気温で、朝晩は冷え込みます。そのせいなのか、空気が澄んでいて、先日は我が家の裏庭から燃えるような夕焼けが見えました。時間の経過とともにオレンジからピンク、そして紫に変わっていきました。

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こちらは、物置小屋の裏から…
垂れ下がった枝はポツポツと咲き始めた桜です。

春が待ち遠しい、今日この頃。

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2019/3/5

Homecoming  Daily Life

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アメリカの自宅に戻ってきました。

…とその前に、日本を発つ前に近所の公園で撮った梅の写真を…。梅園に入ると、かすかに梅の花の香りがしました。

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さて、アメリカに戻ってはきたものの、時差ぼけがなかなか治らず、真夜中に何時間も目が冴えて眠れない日が続いています。時差ぼけ解消には朝日を浴びるのが効果的だと言いますが、こちらは毎日曇天続きで、からりと晴れる日がないのも時差ぼけが治らない理由のひとつかもしれません。

それでも、花粉が飛んでいないのは幸いです。日本を発つ前の数日は花粉症の症状が出て大変でしたが、こちらに着いたらすっかり治まりました。日本では今頃もっとたくさん飛んでいるのでしょうね。

これからの3か月間は家や庭の手入れをしたり、娘の家に行ったりする予定です。
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2019/2/13

了解!  Daily Life

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普段は夜の7時過ぎに帰宅する夫が、このところ5時半ごろに帰ってきます。なんでも、アメリカから出張で来ている人を通勤途中に滞在ホテルの前まで送り迎えする都合から2週間は定時あがりなのだそうです。

それは別にかまわないのだけれど、夕食の準備があるからオフィスを出る前にテキストメッセージで知らせてほしいと夫に頼んだところ、毎日5時ごろに夫からの短いテキストが送られてきます。こんな感じに:

月曜日
夫:Leaving now
私:OK
火曜日
夫:Going home
私:OK
水曜日
夫:Left the office
私:OK

ケータイ画面を見ながら、夫は少しずつ言葉を変えてメッセージを送って来るのに、私は「OK」ばかりで芸がないなぁと思い、翌日のテキストが来た時に、無線などで「了解」を意味する「ラジャー(Roger)」と返したのでした。

夫:On my way
私:Roger!

その日の帰宅途中に夫が同僚と交わした会話:

夫:I think my wife is having an affair.
  (うちのワイフは不倫してるんじゃないかと思うんだ)
同僚:Why do you think that?  
  (なんでそう思うの?)
夫:I texted her that I was on my way, and she thought I was someone named Roger!  
  (今から行くよってテキストを送ったら、僕のことをロジャーって奴と勘違いしたんだ)

ぷぷぷ。

いやいや、Rogerがラジャー(了解)だと分かっていての冗談ですよ(^^;)

あ、でもそれがホントにロジャーだったら…、フェデラー???(妄想暴走)
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2019/2/4

梅と言えば  Daily Life

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近所の公園で梅の花が咲き始めました。

坂の下のほうにある木はすべて梅です。まだポツポツとしか咲いていない木がほとんどですが、いろいろな種類があるようで、それぞれの木に名前の書かれた木札がついていました。

その向こうの少し高い場所にあるのは桜林です。花が咲いたら見事だろうと思いますが、私は残念ながら今月末から3か月ほどアメリカに帰る予定で、日本の一番美しい季節を見逃してしまいます。この桜林だけでなく、ご近所には至る所に桜の木があって、予定を1ヵ月ぐらい延ばすべきだったかなと後悔しています。

話しは梅に戻って、梅と言えば「額田女王」…あ、いや、そのことはずいぶん前に書きましたね。

もとい、梅と言えば、小学校の入学式にもらった記念樹が梅で、実家の庭で30年以上育っていたものが、いつだったか病気になったとかで根元からバッサリと切られてしまったのでした。ところが、一昨年に久しぶりに実家に帰ったら、同じ場所に梅の木がはえていました。木を切ったという知らせに私があまりにも落胆したので家族の誰かが植えてくれたのかと思って父に聞いたら、新しい梅が勝手に生えてきたのだそうです。そんなこともあるんですねぇ。ちょうど帰省した時には黄色く熟した梅の実が地面にいくつか落ちていたので、種を乾かしてアメリカに持って帰ることにしました。(よい子は真似しないでね)

翌春、霜が降りなくなった頃、大事な種だからまずは鉢植えにして…とテラコッタの鉢に梅の種を植えて庭に置いておきました。1週間ほどして様子を見に行くと、鉢の真ん中の土に穴が開いています。あ”あ”っ、やられた〜。慌てて鉢の中を掘り返して種を探しましたが、どこにも種はありません。くぅぅ。

そう、あ奴らの仕業です。

どうしてリスはあんなにピンポイントで種を見つけられるんだろう。梅の種なんて美味しくないし、青酸入りですよ、リスさん。

と、まぁ、梅の花を見て、そんなことを思い出したのでした。彼らとの再会も、もうすぐです。🐿

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2019/1/30

All You Can Ever Know by Nicole Chung  Books

「All You Can Ever Know」は、韓国人夫婦の子供として生まれた著者が生後間もなくアメリカ人夫婦に養子として引取られ、アジア人の容姿を持ちながら白人社会の中でアメリカ人として育った子供時代のことや、自身の出産を機に実の親を探し、姉と出会ったことをきっかけに、養子縁組の是非のほか、家族のこと、自身のアイデンティティ、子供の将来などについて綴った回想録です。

著者の実の両親はアメリカに住む韓国系移民で、著者の出生時にすでに二人の娘がいました(長女は母親の連れ児)。三女である著者は10週間(だったかな?)ほど早く生まれた未熟児で、生存の確率も低く、助かったとしても多大な医療費がかかる状況だったため、両親は著者を養子に出すことに決めます。「それがこの子のために一番よい道だ」と考えて。著者はそのことを育ての親から繰り返し聞かされて育ちました。「それはあなたが知ることのできるすべて(That’s all you can ever know)」なのだと。自分以外には誰もアジア人のいない田舎町で育った著者は、自分の容姿に疑問を持ち、学校ではいじめられ、両親と一緒に訪れた都会の町に自分と同じアジア人がたくさんいることに驚き、アジア人に対する憧れを抱きながら、「もし自分が本当の家族と暮らしていたら…」と想像するようになります。

人種を超えた養子縁組に対する疑問や葛藤を抱きながら大人になった著者は、自分が妊娠した時に病院で家族の病歴について聞かれた時に、何も知らないことに気づきました。それを調べるという名目のもとに、著者は仲介業者を通して実の家族を探します。そして姉や実父とメールでやりとりをするようになり、姉に対する親近感が募り、実際に出会うことになりますが、姉が子供の頃に母親から虐待を受けていたという「秘密」を知り、すでに父親とは離婚している母親とは距離をおくようになります。こうして姉の家族や実父と親交を深め、韓国人である自分を築いていくという内容でした。

人種を超えた養子縁組や貧しい国からの養子縁組というと、豊かな国で豊かな環境で育つことができてよかったね、というのが一般的な考え方のような気がしますが、養子になった子供たちにはいろいろと複雑な感情があるのだと初めて知りました。この著者は、一緒に生活している親とも、学校の周りの生徒たちとも、顔立ちも肌の色も違い、アジア人の子供の差別でよくある、目を吊り上げて「中国人!」と呼ばれることや、休み時間には仲間に入れてもらえなくて一人で図書館で過ごすことなど、子供の頃は数々の苦悩を抱えていたといいます。そして、見た目は韓国人でありながら、韓国語や韓国のことを何も知らない普通のアメリカ人であることで、自分のアイデンティティを見失っていきます。それでも、大人になって実際に姉や実父に会ったら、見た目だけでなく癖や考え方や職業まで似たところがたくさんあり、自分の居場所を見つけたような気持になります。こうして読んでいくと、いわゆる「生まれか育ちか(Nature vs. Nurture)」でいうと、著者は「生まれ」を選びたいのだろうと思えます。

これは回想録なので、著者の気持や物事への判断がとても正直に主観的に述べられていて、苦しさや葛藤がストレートに伝わってきます。その反面、主観的過ぎて、何か独りよがりな部分も多かったように思います。たとえば、著者が養子に出されることになった理由には実母と実父の話に食い違いがあり、母親は「父親が有無を言わせず養子縁組を決めた」といい、父親は「母親は次の子供がまた女の子だったらいらないと言った」と言います。著者としては「自分は欲されて生まれたのか」ということがとても重要だったこともあるでしょうが、姉が母親に虐待されていたという姉の話をもとに、母親と一切話をすることなく、母親からの電話を拒絶します。それでも、まだ著者が子供だった頃に、母親は育ての親に接触を試みて、著者に会いたいと告げますが、育ての親がそれを拒否して一切の連絡を断ち切ります。それを後に知った著者は育ての親に激しい怒りを覚えます。それにしても、欲しくなかった子供に、母親はなぜ接触を試みたのでしょうか。

養子という観点では、当時の韓国では「養子」という選択も珍しくはなかったのかもしれず、社会的背景が影響しているのかもしれません。実の家族に出会ったあとでも、実父は著者を韓国の親族に娘として紹介することはできないと言っています。著者本人は実の姉と父との出会いをとても肯定的に捉えていますが、養子にならずにこの家族と不安定な家庭環境の中で育ってきたら、果たして同じような関係を築けたかどうか。本人にはどうすることもできなかったことだけれど。

また、著者は育ての母親には自分の気持ち(葛藤)を理解することはできないと言っていますが、それはあんまりな言い方じゃないかと私は思います。うちの子供たちも私とは違うアイデンティティ(異人種間の子供)を持ち、物事の見方や考え方は違うかもしれないけれど、だからといってそれが親子関係の支障になることはないし、私にしても、自分が異国で苦労したことを子供たちに分かってもらおうなどとは思いません。正直なことを言うと、読んでいる途中で違和感を覚えることが多かったのは、この著者のまだ30歳ぐらいという若さのせいなのかもしれません。子供を育て終えた母親の立場で考えることがまだできないのだろうと。

そんなことを思ったのは私だけなのかと思って、レビューを読んでみたら、大部分が絶賛している中でいくつかは私のように違和感を覚えたというものもありました。それでも、異人種間の養子縁組を取りあげた正直な記録はこれから養子を考える人にとって大いに参考になることでしょう。


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