2005/6/9

吉野薫風抄 金峯山寺宗務総長 田中利典師著  図書紹介

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世界遺産登録・吉野の国宝を訪ねての研修旅行は、梅雨入りが延びて、好天気に恵まれ素晴らしい研修となりました。
綾部出身の田中利典師には、格別のご配慮を賜り、特別ご開帳中の国宝・金峯山寺金剛蔵王権現像を前に法話をしていただき、続いて蔵王権現本地堂でも法話を賜った後、権現堂の前での記念写真撮影に加わっていただきました。世界遺産登録達成の主役を勤められ、週間朝日6/17日号に夫婦の情景の記事が掲載され、時の人です。ご多忙の中、本当にお世話になりました。

スキャナ−・OCRで収録。
初版本あとがき
何時頃からだろうか、本を出版するのが私の夢であった。けれども小説が書けるほどの文才があるわけでもなく、人に発表するような研究をしているわけでもない私が、本を出すなど、どう考えて到底実現出来そうになくて、夢は夢のまま、わが胸の奥深くしまいこんでいたのであった。
 龍谷大学教授浅田正博先生は、私の大学時代以来の恩師である。ある時、「先生、蔵王清風をまとめてみたいんですが…」と言ったところ、「おもしろいんじゃない、やってみれば」と、思わぬ賛同を頂いた。本にするような内容じゃないなと内心思ってはいたものの、かねてより本を出したいと念願していただけに、光生のこの言葉は百千万の味方を得たよりも心強く、夢が少しずつ現実味を帯びてきたのである。
さて、本書は、合峯山修験本宗の機関誌『金峯山特報』に昭和五十七年四月から平成三年十二月にかけて、九年にわたり〈蔵王清風〉として執筆した拙文を『古野薫風抄ー修験道に想う』と改題して収録したものである。薫風とはかおりのよい風という意味もあるが、ここでは薫習(物に香りが移りしむように、仏の教えが心に残り留まること)を起こす風というような想いを込めて使わせて頂いた。
 もともと〈蔵王清風〉は金峯山特報に連載されていたコラムで、本宗の五條順教管長猊下や故磯矢浄光宗務総長が執筆を担当されていた由緒正しい随筆欄であった。しかし私が金峯山寺に入山し、時報の編集に携わるようになった昭和五十六年当時は、すでに休載となっていたのである。
編集に就いて間もない私であったが、なんとかこの由緒あるコラム欄を復活させたいと願い、この旨を管長猊下に申し出た。ところが、「君が書いてみろ」と予期せぬ事態となり、全くの浅学非才を顧みぬまま、ペンを執らせて頂くようになったのである。
 本書編集に際し、改めて読み返してみて、・・・後略
平成四年、蔵王堂再建四百年の初夏 著者

新装版あとがき
 十三年ぶりに『古野薫風抄』が新装本として復刊となった。筆者として感慨深いものがある。実は昨年秋に『修験道っておもしろい!』(白馬社刊)と『はじめての修験道』(正木晃氏との共著、春秋社刊)の拙著二冊が上梓されたが、正直に言うと私にとっては両書より、一から十まで手作りで出版した処女随筆巣『古野薫風抄』への思い入れの方が格段に大きい。出版以来、何度も読み返しているのに、未だに時々本棚から取り出しては読むことさえある。しかも読かたびに、若気の至りを恥じ入る所もあるが、自分で言いた文章に、改めて感銘を受けたりもする。そういうと、呆けたのかと思われるかもしれないし、逆に、なんだかナルシストでいやらしい奴だと思われるかも知れないが、そうではなく、現在よりあの頃の文章の方が、一所懸命で、情熱に満ちていて、忘れていた熱いものを思い出させてくれたりするのである。ま、人間的に少しも成長してしない証なのかもしれないが…。
 いずれにしろ金峯山時報社刊ということで、金峯山寺以外では販売していなかった本書が、白馬社さんでの出版を機会に、広く世に出ることになるのは、たまらなく嬉しいものだ。最愛の子供を、褒められたような気分なのである。
 復刻に当たって、初版本から、少し書き換えたり、新たに差し替えたりしたものもあるが、未熟ながら全編、三十歳前後の生き生きした私のつぶやきである。
 末尾になるが、復刻に当たって私には誉めすぎとも思える素情らしい巻頭言を贈っていただいた正木晃先生と、快く挿絵写真の提供をいただいた岡橋実浄氏並びに藤田庄市氏、金峯山寺写真部に御礼を申し上げたい。また初版完売以来埋もれつつあった本書を、世に出してやりうという誠に奇特な提案をいただいた白馬社の西村孝文社長にも、深く感謝の意を捧げるものである。
平成十七年乙酉二月 齢五十の記念として 田中利典



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