2010/7/3

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その2.国宝・重文の山・當麻寺その2.中将姫とその信仰  文化財研修記

當麻寺(たいまでら)の創建は612年に聖徳太子の教えに従って、異母弟の麻呂子親王が河内に万法院を建立した。その後、親王の夢に従って、681年当麻国見(たいまのくにみ)が、役行者(えんのぎょうじゃ)開山のこの地へ移したのが当麻寺です。金堂に本尊として弥勒菩薩像が祀られ」、役行者が百済(韓国のくだらのくに)より四天王を飛来させ、次いで講堂、東塔、西塔、そして現在の本堂である曼荼羅堂(まんだらどう)が完成し、伽藍が整えられた。平安期には四十余坊、江戸期にも三十一坊があったと言うことです。天平時代,藤原家の娘・中将姫(ちゅじょひめ)は継母に妬まれ命を狙われ続けられました。そして1000巻の写経を成し遂げた16歳のある日、この二上山(ふたがみやま)に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見た姫は、現世の浄土を求めて都を離れ、観音様に手を引かれるように当麻寺を訪れます。当時の住職・實雅法印(じつがほういん)に認められ中之坊にて尼僧にとなり、法如(ほうにょ)という名を授かりました。その後、あの日見た阿弥陀如来さまの居られる極楽浄土の光景を,五色の蓮(はす)の糸によって織り表しました。これが国宝・当麻曼荼羅(たいままんだら)です。その輝きに心を救われた法如(中将姫)は、人々に現世浄土の教え(この世で浄土を観じる教え)を説き続け、29歳の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたと云うことです。次回は東塔、二上山、仲之坊へ行きます。

1.中将姫(ちゅじょひめ)案内板
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2.中将姫の銅像
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3.仲之坊にある中将姫の髪塚案内板
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4.仲之坊にある中将姫(法如)の髪塚
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5.中将姫の周りの人々
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6.見事な国宝の西塔(最近、奈良県立樫原考古学研究所の発掘により680年白鳳時代の創建と判明)
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7.西塔近くの浄土宗の塔頭寺院「護念院」
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8.国宝の東塔へ行く途中の「日本最古の石灯籠」案内板
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9.国の重要文化財「日本最古の石灯籠」
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