2010/3/17

「義経の道」 岐阜県奥美濃石徹白にて  文化財研修記

綾部のシルバースキークラブ銀嶺会一行18名で岐阜県奥美濃のスキー場に2泊3日のスキーツァに行ってきました(詳細はここをクリックください)
白山連峰の南になる石徹白(いとしろ)は、白山に登る一番長い登山コースで、冬には屈指の豪雪地帯なので、数多くのスキー場が開かれています。

ウィングヒル白鳥リゾート・スキー場のセンターハウス入り口に「義経の道」由来が展示されていましたので紹介いたします。
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白山禅定道 「義経の道」由来
義経のわずか31年の生涯について、もっとも正確と考えられる資料は、鎌倉幕府の公用日記「吾妻鏡」や九条兼実の「玉葉」などがありますが、兄頼朝の怒りを買い、追われる身となった文治2年11月に頼朝の強硬な抗議文が都で披露されて以来、平泉に現れるまで義経の消息は完全に途絶えた。

 平泉に向け逃亡した義経の足取りは未だ解らず、諸説取りざたされていますが、吾妻鏡には「文治3年2月10日(1187)に義経は山伏姿で隠れ家を出て、伊勢、美濃を経て奥州へ赴く。文治3年3月8日に義経をかくまっていたとされる興福寺の僧侶 聖弘得業が頼朝と対面し、義経を伊賀へ送った」と記載されており、義経は伊賀より美濃・白山を経て奥州へ向かったとされております。

 しかし美濃までの経路についても諸説がありますし、長滝から桧峠までの道についても、修験道説と禅定道説・白山古道がありますが、桧峠より国境の宿を経て、一之瀬の宮を通り、石徹白に至る道は、修験道、禅定道、白山古道も同じ所を通っており、ここを義経一行が通ったということは異論がないので、この区間を古老の話などを頼りに、このたび復元し「義経の道」と命名しました。
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上記案内が添えられた模型




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