2009/8/10

名古屋の文化財を訪ねて!昼と夜のライトアップその2。徳川園と徳川美術館、ガーデンレストラン  文化財研修記

名古屋も雨で最初、雨を避ける為「徳川美術館」に向かった。徳川美術館と徳川園は隣合わせで両方見学する「共通券大人1,350円」を購入。その前に乗用車は徳川園の有料地下駐車場へ留めるが値段はチェック漏れでいずれにせよ安かったと覚えている。時間11時45分さてここでは雨が上げっていたので素晴らしい「徳川園庭園」を見学する。この庭園内の「ガーデンレストランはフランス料理で有名だ!」昼食はメニューのみ確認し、途中又雨が降り出したので「徳川美術館」を先に見た。予想通りの素晴らしい美術館で館内は撮影禁止だがNO FLASHでの撮影を」2・3ヶ所許可を得て撮影する。後ほど見て欲しい。徳川美術館は7月18日から8月30日まで「信長・秀吉・家康の合戦」(さぶタイトル:戦国合戦ガイド)がテーマで展示されていた。織田信長・豊臣秀吉の感状は「綾部市指定文化財」でよく見ているので理解で切るが徳川家康の花押は再三変わったので良く覚えてない。では早速「徳川園」をご紹介します。徳川園の沿革:入場パンフレットから抜粋です。名古屋城本丸から東へ約3キロメートルのところにある緒徳川園は徳川ご三家筆頭である尾張藩第二代藩主光友が、元禄8年(1695)に自分の隠居所として大曽根屋敷を造営したことが起源です。当時の屋敷は13万坪(約44ヘクタール)の広大な広さで、庭園内の泉水には16挺立(16人で漕ぐ舟)の舟を浮かべたといわれています。光友没後、この地は尾張藩家老(家康がつけた付け家老)の成瀬家、及び石河、渡邊三家に譲られたが明治6年(1931)名古屋市は第19代当主義親から邸宅と庭園の寄付をうけて、改修整備を行い翌年「徳川園」として一般公開された。第二次世界大戦の大空襲でほとんどの建物樹林が消失。平成13年(2001)にようやく日本庭園として整備、平成16年(2001)に開園された。

1.徳川美術館の庭園にある「蓬左文庫(おうさぶんこ)」尾張藩初代藩主徳川義直は学問を重んじ、中でも儒学に傾倒し、日本で初めての「聖堂」を上野忍岡の林家の私邸に建て、この名古屋城の二の丸庭園にも聖堂を建て孔子と孔子十哲の画像を掲げて祀ったという。7月23日〜10月4日まで第一展示室では上記の資料が展示され、第二展示室では「絵画に描かれた名山」=霊山信仰の世界=の副題で江戸時代の日本各地の霊山の絵が展示されていた。
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2.同上 常設展示の国重文の鎌倉時代の「続日本紀40巻」コピーで撮影OK
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3.集中豪雨の中の憧れの「徳川美術館」7月18日〜8月30日まで=信長・秀吉・家康の合戦=の企画展示があった。美術館の概要から抜粋:「徳川美術館は、徳川家康の遺品を中心に、初代義直(家康九男)以下代々の遺愛品、いわゆる「大名道具」一万数千件を収める美術館です。国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、国宝9件,重要文化財57件など種類の豊富さ、質の高さ、保存状態の良さを誇ります。」誠にその通りで感激しました!特に国宝の豪華な「婚礼調度類」「源氏物語絵巻コピー」僕の好きな「国宝の刀剣は七振り」合計九つの国宝です!!!

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4.徳川美術館の常設展示室の刀剣(ほとんど撮影禁止です)
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5.徳川園内のガーデンレストラン「観仙楼」の坪庭
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6.観仙楼で展示されている尾張藩徳川家の家紋が入った「火縄銃(ひなわじゅう)」
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7.龍仙湖から見た「観仙楼」です。そのガーデンレストランの内容は次回です。
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綾部市指定文化財の織田信長「感状(感謝状)」と豊臣秀吉の「感状」は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/638.html



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