2009/6/25

綾部市指定文化財「織田信長感状」「豊臣秀吉感状」  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区(やまがちく)の広瀬町には山家城址がある。この山家藩は陸戦の武将・谷衛友(たにもりとも)が天正十年(1582)に山家に入部して始まった。谷氏は近江佐々木定綱の後裔で、近江国甲賀郡谷の郷に住み、最初には「谷野」と名乗りついで「谷」となった。この織田信長「感謝状」は谷衛友の父・衛好(もりよし)が信長に仕え、天正四年(1576)に石山本願寺戦の時、木津・難波表の戦功により、次のような感状を受けた。「於木津難波表相働首五到来感悦候 弥向後可抽戦功候也 天正四年五月廿三日 信長(朱印) 谷野大膳どのへ」。衛友は衛好の子で幼名は甚太郎といい後、出羽守となった。この豊臣秀吉「感謝状」は十七歳の時、父に従って三木城攻めに加わり、父・衛好戦死の時、ただちにその敵を打ち首を取り返した。秀吉は父・衛好の戦死を哀れみ、衛友に、下の感状を与え、父の本領6千石と新規に2ヶ所の加増を行った。「今度別所誅伐の剋父大膳亮抽軍功遂討死別而不便被思食本領之外二ヶ所被宛行者也 天正七年九月廿八日 秀吉(朱印) 谷甚太郎どの」。衛友は秀吉に仕え、伊勢・賤ヶ岳・長久手・和泉の戦・九州の島津攻めなどと転戦・加増を受重ねて大名となり,山崎合戦の後,天正十年山家城主となった。関ヶ原合戦ではやむなく西軍とななったが舞鶴・田辺城攻めで「谷の空鉄砲」で有名な話だが、その戦後、細川父子のとりなしで本領を安堵され何鹿郡内で1万6千石を領し、明治維新まで続いた。

1.綾部市指定文化財NO.77谷野大膳宛「織田信長感謝状」綾部市資料館提供
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2.綾部市指定文化財NO>78谷甚太郎宛「豊臣秀吉感状」綾部市資料館提供
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綾部九鬼藩と山家谷藩については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/35nen/kuki/kukisiryo.htm



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