2008/10/30

平安時代の武将・鎌倉権五郎景政公を眼の神として祀る若宮神社  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五津合町(いつあいちょう、5つの村が集まって五津合町となった)の陸志公会堂に乗用車を止めて、そこから150メートル位い、歩いて奥に行くと、左手に急な傾斜地の山道が見えてくる。そこを約80メートル登ると「平安時代末期の武将、鎌倉権五郎景政公を祀る若宮神社」がある。この鎌倉権五郎景政公は桓武帝の後裔で,後三年の役に源義家公(みなもとよしいえ、通称、八幡太郎義家)に弱冠16歳で従軍し活躍した人で、奥州後三年記によれば、敵将の鳥海弥三郎に左眼を射抜かれたが、怯むことなく、射返して相手を倒したと云う。傍に居た従兄弟の三浦為継がその矢を抜き取ろうとし、景政公の顔に足をかけたところ、武士の顔に土足をかける無礼を咎め、謝らせた話で有名である。鎌倉市に景政公を祀る御霊神社があり「権五郎さん」の愛称で、眼病の神様として崇められている。又、眼を負傷した景政公が戦場から帰途,霊泉に浴して矢傷をなおしたと云う伝説から眼の神として東北地方各地に崇祀されている諭旨。又、丹波史には、丹波雀部庄(たんばささべのしょう)に景政公の末裔梶原氏の領地が存在した記録がある。又、当地古伝によれば、当地には虫害獣が多く棲息して、虫村狢村(むしむら、むじなむら)と云われる程未開の地であったが、景政公此地に来りて虫獣の害を除き上林村の基を作った功績に、里人一祠を造営して「眼の癒し神・村落の守護神」として崇敬し今に至ると云う。神社は永久元年(1113年)に造営され以後7度改修され現在に至る。社務所の「由緒書の駒札」から抜粋し記した。

1.京都府々道51号線の「若宮神社の看板」
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2.若宮神社へ登り参道
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3.第一の鳥居を通して若宮神社を見る
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4.第ニの鳥居と若宮神社
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5.若宮神社の拝殿内
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6.若見神社に向かって左側の自然石を使った常夜燈(明治二巳九月吉眼と彫り込まれている。高さ約1.5メートル)
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7.境内社の稲荷社
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8.社務所横壁の「由緒書の駒札」
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