2008/2/25

合気道開祖「植芝盛平翁ゆかりの4市町による友好都市提携調印式」とゆかりの地  綾部の文化財

合気道創始者「植芝盛平翁ゆかりの4市町による友好都市提携調印式」が2月23日(土)生誕の地和歌山県田辺市にて三代道主・植芝守央(うえしばもりてる)氏の立合の元で調印された。植芝盛平(うえしばもりへい)翁は明治16年(1883)に田辺市の富裕な農家に生まれ、幼少の時から武道にに励み、起倒流柔術(きとうりゅうじゅうじゅつ)・後藤派柳生心眼流柔術(やぎょうしんがんりゅうじゅうじゅつ)を修めた後、明治45年には開拓農民として、現在の北海道遠軽町へ移住した。叉、大東流合氣柔術総本部長・武田惣角を招き入門、1922年教授代理を許された。一方、大正8年父危篤の報を受けて帰郷の途中、現在の綾部市で大本教の出口王仁三郎聖師と出会い自ら生きる道を見出したといわれる。大正9年一家で綾部に移住し、植芝塾を開いた。大正11年、自らの武術を「合気道」と名付け国内外への普及をはじめた。エピソードとしては、大正13年世界統一宗教を確立するための聖地を探そうとする出口王仁三郎聖師に従い、蒙古(モンゴル)へ旅立ました。候補地の要衝パインタラを目前ににして、当時の中国中央政府に企てを知られ追われる身となった。このとき植芝翁は相手が撃ってくる弾丸を「ヒラリヒラリ」とかわしたといわれています。命からがら日本へ逃げ帰った植芝翁はこの時の経験を基に「相手の氣を心眼でかわし、戦わずしてかつ合気道の原点を体得したといわれています。叉、その後、大本弾圧により、叉、王仁三郎聖師の勧めで中央でこの「合気道」を普及すべく東京に出て1940年財団法人皇武館(後の財団法人合気会)を設立。晩年には現在の茨城県笠間市に合気神社を建立した。植芝翁設立の財団法人合気会は二代道主・植芝吉祥丸師を経て、現在は三代道主・植芝守央師です。綾部は「合気道の発祥地」とされ、今世界85ヶ国、150万以上の修行者がおられるとの事です。

植芝盛平翁ゆかりの4市町による友好都市提携調印式後、握手される4市町の市長・町長、中央が立会人の三代道主・植芝守央師。(写真提供:綾部市)
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植芝盛平翁の生誕地(写真提供:綾部市,財団法人合気会承認)
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植芝盛平翁のお墓のある田辺市の「高山寺」(写真提供:綾部市)
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植芝盛平翁の墓(写真提供:綾部市)
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田辺市の植芝盛平翁頌徳碑(写真提供:綾部市)
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JR綾部駅南口にある「植芝盛平翁の合気道碑」平成14年11月建立
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平成14年11月碑建立後、合気道三代道主・植芝守央(うえしばもりてる)師がこの綾部市武道館で出口紅大本教々主様や四方八洲男綾部市長の前で模範演技をされた。
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綾部市武道館での合気会・三代道主・植芝守央師の模範演技1(写真提供:綾部市)
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同 上2(写真提供:綾部市)
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財団法人・合気会のホームページは下記をクリック願います。
http://www.aikikai.or.jp/



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