2007/11/9

国史跡・平泉寺白山神社  文化財研修記

福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する「白山神社及び境内」は国指定史跡である。白山は承知の通り、古来から富士山、立山と共に信仰のお山であり、現在も多数の人々が参拝する。御祭神は本社は伊佐那岐命(いざにぎのみこと)、両脇には越南知社「祭神は大己貴尊(大国主命)が左手に、別山社「祭神は天忍穂耳尊(あまおしほみみのみこと)が右手に祀られている。当社は白山の開祖・泰澄大師(たいちょうだいし)の創建で大師が白山登拝の途中林泉(今の御手洗池)を発見され、そこで白山の神の神託により当地が聖地と知り、社を建て白山の神を奉斎されたのがはじまりである。古くは白山平泉寺と称されていたので寺のようであるが本来は神社である。平安時代以降白山登山の拠点の三馬場の一つとして隆盛を極めた。鎌倉時代の始め兄・源頼朝に追われた義経がこの白山神社を詣でて奥州平泉を目指したことが「義経記」に見え、又鎌倉時代末期には後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒に呼応してこの神社の僧兵が大野郡の地頭を攻めた記録が「太平記」に見られる。中世の最盛期には社領9万石、48社、36堂、6,000坊もあったといわれていたが、戦国時代のの天正2年(1574)一向一揆との係争のた全山を焼き尽くした。その後、豊臣秀吉や江戸時代には越前の前田松平家の篤い崇拝をうけたが、明治の神仏分離令により、長年の神仏混合を止め、本来の白山神社となり現在に至る。

平泉寺白山神社入口
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第一の鳥居と奥に拝殿
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京都の苔寺と比較されるが、それ以上に見事な「苔」覆われた境内
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第2の鳥居と拝殿
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見事な彫刻の本殿の一部
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拝殿に向かって左の「越南知社(大国主命)」
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