2022/1/5

令和4年の初詣は大雪のため1月3日と5日に参拝  綾部の文化財

令和4年の初詣は大雪のため、1月3日に多田町の天満宮を参拝し、5日には高倉神社を参拝しました。
1月3日多田天満宮を参拝
1.残雪の多田天満宮
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2.拝殿から参拝方向を見ると残雪が凄い!
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3.1月5日午後、吉美地区の総社の高倉神社を参拝。四方正和宮司様に出会う「今から、祭礼の諭旨」です。
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4.同上
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5.京都府指定文化財の拝殿の彫刻の龍には髭が在るのを初めて知ったのです!!
!!
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6.同上
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7.同上
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8.高倉神社由緒
治承年間、平清盛横暴を極め壇に朝権を寿し、畏くも後白河法皇を幽閉し奉りしを以て、孝心深き第二皇子高倉宮以仁王は、父君を幽閉より救い、更に皇室の隆盛を挽回せんと、源三位頼政に令旨を下し賜ふ。頼政奉じて勤王の兵をあげ、治承の難に至る。
逸道の激戦に官軍利あらず、頼政は宇治の平等院で自刃。宮は南都へ御落延の途中光明寺下で流れ矢に当たり、薨御と偽り、実は近臣大槻光頼、渡辺俊久等十二士と潜に頼政の領地丹波路に供奉し、宮をして一時の危難を避け奉りしが、宮は不幸当地に御着馬の頃から、御矢傷次第に重く、治承四年六月九日吉美郷里村で薨御し給ふ。
翌養和元年九月九日神霊を奥谷の森合の高倉に(現在地)奉遷し、高倉天一大明神と勧請せり、 尓来御神徳は四方に輝き、世直しの神、五穀豊穣、万病平癒、殊に胃腸病の快癒に御霊験高く、腹痛救護の神と世人の崇敬を聚め給ふ。
 降って元文年間神殿挙げて回録に罹り、旧記神宝悉く鳥有に帰したが、御神像のみ火中より収めて神殿に奉安した。神殿の再建は延享三年に落成したが、建設以来星霜を閲し、再び廃頽に傾き、明治四十年再建を計画、同四十三年八月竣工、旧神殿は拝殿に改造し、新たに神殿竝びに透塀を造営、神域も拡張した。更に昭和五十三年奉紀八百年を記念し、宮の遺徳を追慕顕彰せん為、拝殿の前に神札授与所、大鳥居附近の参道石畳の新設、社務所の修復、新社務所の屋根の葺替、駐車場の新設等、広く氏子竝びに十二士後裔その他信仰者有志の多額の寄進を得て、昭和五十五年文字通り神社の面目一新、近郷稀に見る神社として整備された。 高倉神社社務所

。高倉神社拝殿は江戸時代中期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重なことから京都府登録有形文化財に登録されています。又、境内全域が京都府環境保全地区、例祭に奉納されるヒヤソ踊は綾部市指定無形民俗文化財 にそれぞれ指定されています。

高倉神社につての問い合わせは

https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1850.html


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