2021/9/28

久し振りに山家陣屋跡を見る!  綾部の文化財

令和3年9月家内の運転で綾部市広瀬町城山にある「山家陣屋跡」を見に行って来ました。陣屋とは上林川を挟んで対岸の一にある城下町は丹後や若狭方面えと通汁交通の要衝で、宿場町としての機能をあわっせもっていた。往時の賑わいの面影を、今も一部残している。肥後橋をのぼった丘陵上(現、広瀬町)広がるのが「山家陣屋跡」である。丘陵を東西に横断する道路の両脇にはかって侍屋敷が並んでいた。この道の行きつくところが陣屋表門である。この門から居屋部分にかけて現在は山家城址公園となっており、入り口には櫓門が復元され、その2階部分が「城址資料館」として公開されている。戦国時代に当地を治めていた和久氏にかわって、天正10年(1582)に谷衛友(たにもりとも)が入部し、何鹿郡内(いかるがぐん)で1万6000石を龍する領する大名となった(何鹿郡の有岡町や小生が住んで居る多田町は山家藩本家に所属していた。)。其の後、6000石を割いて分家させたため、山家藩本家は1万石となり明治維新を迎えるまで続いた。山家陣屋の地は、由良川と上林川に挟まれた天険の要害である。戦国時代、和久氏の頃には背後の甲ケ峯の山上にも砦(甲ヶ峯城址)を築いて、麓の居館部と一体となっていたようであるが、谷氏は麓の居館部のみを陣屋として拡充発展させた。陣屋は明治3年(1870)に消失したが、城址公園には谷霊神社の小祠が有って、かってのよすがとしている。山家城下から東山街道(府道1号線)を上林川に沿って約1.5Kmほど北上すると旭町の塩谷バス停の近くにある覚応寺(臨済宗)があり、境内には地元の自然の巨岩を用いた山家藩歴代藩主の墓がある。


1.山家地区全体の名所・旧跡(下記の画像をクリックすると拡大します。)
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2.山家城址公園の入口には櫓門が再建されその2階が資料館として一般に公開されている。
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3.山家藩武家屋敷を見る!(下記をクリックして見て下さい!)
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1730.html

4.山家城址公園を見る!(下記をクリックして見て下さい!)
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1726.html

5.入口の駒札を見る!
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6.資料館内部を見る!(下記をクリックして見て下さい!!)
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1059.html

7.谷霊神社の祠
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