2020/7/15

舞鶴市東の古社・延喜式内社・三宅神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市北吸751に延喜式内社の一つ三宅神社(みやけじんじゃ)がる。豊宇気姫命を主祭神に、多遅麻毛理(たじまもり)、縁結びの白兎神を配祀しています。
『延喜式神名帳』にある「三宅神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)の論社(後継社)です。創祀年代は不詳。もとはもう一つ西側の谷で、現在の三宅団地に鎮座した。三宝荒神・三宅荒神・三宅太荒神社などと称した。往古は荘厳な大社だったようで、いつしか衰微したという。鎮座地は字神子屋敷、字宮ノ平などと呼ばれ、貴官の屋敷など何らかの遺構だったともされる。式内社「三宅神社」は三宅郷の総鎮守だったと考えられるが、その三宅郷も不詳。『室尾山観音寺神名帳』に「従二位三宅明神」「正三位三宅明神」とある。つまり、式内社「三宅神社」は後年、二社かそれ以上に分裂した可能性があり、各種資料でも様々な指摘がある。『丹後風土記残欠』では、「三宅郷 河辺坐三宅社」とあり、河辺鎮座の社を式内社であると示唆している。現在該当するのは河辺八幡神社である。『丹哥府志』では、「三宅神社今訛りて宮崎明神と称す、祭六月十八日」とある。喜多に宮崎神社がある。ただし、水戸家修『大日本史神祇志』、栗田寛『神祇志料』、吉田東伍『大日本地名辞書』、村岡良弼『日本地理志料』では、「今北吸村に在り」と当社を比定。ただ、当社はあくまでも荒神であり、式内社との関わりは不明。ともかく、古くから地元の篤い崇敬を受けてきたのは間違いない。明治になり、神仏分離令により、北吸神社と改称、さらに明治15年(1882)には式内社として現社号への改称が許可された。明治24年(1891年)、もとの地は軍用地(射撃場)になって立ち退かされ、全戸が糸谷(現在の北吸谷)や浜地区に移住したため、当社も現在地に遷座した。また、荒神だったので、台所の守護神(竃の神)だったのだろう。明治になり、神仏分離令を通じて、同じ食物に関係の深い神として、豊宇気姫命を御祭神としたと記裁された。例祭は7月10日。境内社に、稲荷神社、吉備大臣命社、恵比寿神社、秋葉神社がある。なお、式内社「三宅神社」の論社は上述の他に、福知山市大江町公庄の熊野神社がある。

1.三宅神社の標柱を見る!7月10日の祭礼のため御旗が掲げられている。
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2.見事な参拝道を登って行きます。
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3.参拝道の途中の手水舎
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4.参拝道の途中にある社務所
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5.更に石段参道を登ります!
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6.漸く鳥居に至る!
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7.7月10日の例大祭の幕が張られている拝殿です!
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8.苔むした阿形の狛犬
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9.吽形の狛犬(膝に子犬を抱いています。)
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10.青木信光子爵の揮毫による「豊宇気姫命」の神額が懸かる拝殿
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11.拝殿内陣を見る!奥の本殿が見える!
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12.見事な本殿を斜から見る!
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13.見事な本殿を横から見る!
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14.本殿左側の稲荷神社、吉備大臣命社を見る。
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15.本殿右側の恵比寿神社、秋葉神社を見る。
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16.見事な自然石の常夜燈を見る!
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17.同上 駒札
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