2007/5/21

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開と飛鳥その3  文化財研修記

甘橿(樫)丘(あまかしのおか)は標高145メートルで平成19年(今年)の調査でも石垣が見つかり新聞でも掲載され、話題になった。蘇我入鹿は中大兄皇子によって暗殺され、甘樫丘の上の屋敷立てこもり父の蝦夷は自刃し、蘇我氏は滅亡。屋敷も消失(645年)。この丘は登る道もない荒地であったが昭和40年代に「国営飛鳥歴史公園」として整備されてきた。大和三山(やまとさんざん)とは甘樫丘展望台から、北方に眺められ、左手側が畝傍山(うねびやまで、男性の山と言われ、下にこの山をご神体とした神武天皇を祀った樫原神宮がある。199メートル)、真ん中に耳成山(みみなしやま、女性の山で139メートル)、そして右手の香具山(かぐやま、女性の山で148メートル)、藤原宮はその三山に囲まれて造営された。ここで万葉集の巻1−13に記された中大兄三山歌(2つの女性の山が男山をあらそった歌)「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古るも 然るにあこそうつせみも 妻を争ふらしき」。今回は聖徳太子誕生地の橘寺はないので「飛鳥寺」について掲載します。飛鳥寺は第32代崇俊天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された。寺名は法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。昭和31年の発掘調査で創建時の寺は塔を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配置する日本最初の本格的寺院で、その外側に回廊を廻らし、更に講堂を含む壮大な伽藍であった。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は推古天皇17年(609)天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像である。旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)に消失したが、寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建、現在真言宗豊山派で安居院(あんごいん)といい、新西国第9番、聖徳太子第11番の霊場である。

飛鳥寺入口(国史跡)
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飛鳥大仏(釈迦如来坐像・国重文・高さ3M・銅3トン・黄金30キロ、平安・鎌倉の消失で再建されたが、はっきりした飛鳥の特徴が残っている。)
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飛鳥大仏の右手「木像の阿弥陀如来坐像・藤原時代」
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飛鳥大仏の左手「聖徳太子孝養像・太子16歳の時父・用明天皇の病気回復祈願の姿」
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聖(しょう)観音を祀る「思惟殿」
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すぐ近くの蘇我入鹿首塚へ
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蘇我入鹿首塚
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