2019/8/20

丹後を見る!国重文の木造金剛力士立像2体を持つ多禰寺!  文化財研修記

京都府舞鶴市多祢寺346には真言宗東寺派の古刹で本尊薬師如来を祀る多祢寺(たねじ)がある。その位置は大浦半島の多禰山(標高556m)の中腹、海抜300mにあり、眺望は見事です。国の重要文化財の金剛力士2体は現在宝物館に保存され撮影禁止です。その歴史は創の正確な事情は不明であるが享保2年(1717)の『多禰寺縁起』によれば、用明天皇2年(587)、聖徳太子の弟、麻呂子親王(まろこしんのう)の開基と伝えられる。 縁起によれば、父・用明天皇の命を受けた麻呂子親王は、丹後の庶民を苦しめた鬼賊(与謝郡三上ヶ岳に住む英胡、軽足、土熊)を「七仏薬師の法」の力で平らげ、その加護に報いるため、丹後の国に七箇所の寺を建て、七仏薬師像を安置したという。その中で、親王の護持仏であった第七薬師瑠璃光如来を本尊としたのが当寺で、医王山多禰寺と名付けられたという。 平安時代に入ると七堂伽藍は威風を轟かし、近郷の菩提寺として栄えたが、鎌倉時代・室町時代の打ち続く戦乱に崩壊し、昔の壮観は影を潜めた。現在は真言宗東寺派に属し、西国薬師四十九霊場30番札所として、風光明媚な自然の山懐にたたずんでいる。 また、平安時代・鎌倉時代・室町時代などの中央作の貴重な文化財を、当初の像容で遺存されている。室町時代以降、由緒ある寺として丹後の有力者の庇護を受け、多くの安堵状・寄進状が残されている。丹後守護一色氏の被官・桜井豊前守の寺領安堵状-天正年間以前細川藤孝(幽斎)・細川忠興連署による寺領安堵状-天正年間、京極高治(高国の弟)寄進状-慶長年間、牧野氏寄進状-延宝8年以降、京都府指定文化財の多禰寺 2棟 、本堂 1棟、山門 1棟、舞鶴市指定文化財の木造薬師如来坐像1躯鎌倉時代、木造普賢菩薩騎象像 1躯 平安時代、鋳銅製孔雀文磬1面、その他文化財木造十二神将像現存8躯- 室町時代、木造彩色日光菩薩・月光菩薩立像 2躯、木造彩色不動明王(赤不動)立像1躯- 室町時代など多くの文化財を所持している。

1.見事な山門
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2.阿形の金剛力士が安置されていた山門右側
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3.吽形の金剛力士が安置されていた山門左側
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4.山門から本堂方面を見る!
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5.弁天池
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6.本堂への石段参道
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7.見事な庭園の一部です!
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8.左側の庫裡
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9.御詠歌碑と本堂を望む!
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10.見事な本堂
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11.本堂をアップで見る!
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12.本堂の扁額
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13.同上
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14.宝物殿前の案内札
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15.本堂を左側から見る
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