2019/5/24

古都奈良を見る!国宝の仏像2体と国史跡名勝庭園のある光明宗・法華寺門跡!  文化財研修記

奈良県奈良市法華寺町882には国宝の十一面」観音菩薩立像と阿弥陀三尊・童子象、国史跡名勝庭園等のある光明宗・総国分尼寺の法華寺門跡がある。又、光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られる(門跡寺院とは、皇族、貴族の子女などが住職となる格式の高い寺院の称)。東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、詳しくは法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といった。法華寺の地にはもと藤原不比等の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮とした。天平17年(745)5月皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである(『続日本紀』)。この宮寺を「法華寺」と称したことが文書で確認できるのは2年後の天平19年(747)からである。聖武天皇は天平13年(741)2月14日、国分寺・国分尼寺建立の詔を発した(詔の日付は『類聚三代格』による)。法華寺は、この詔に基づいて建立整備された国分尼寺である。ただし、前述のように、法華寺の前身である皇后宮を宮寺としたのは4年後の天平17年(745)5月のことであり、国分尼寺を意味する「法華寺」の寺号の使用が確認できるのは、天平19年(747年)正月の「法華寺政所牒」(正倉院文書)が初見である。国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられてからの数年間、大和国の国分尼寺は存在しなかったのか、存在したとしたらどこにあったのかなど、創建経緯の細部については不明な点が多い。福山敏男は、天平16年6月8日付けの「金光明寺写経所文書」(正倉院文書)に「法花寺」という寺名が見えることに着目し、現・法華寺の創建以前に別の場所に「法花寺」すなわち国分尼寺が存在したこと、それは東大寺の前身寺院である金鐘寺に属していた阿弥陀堂であろうという説をとなえた。法華寺は皇后発願の寺院であり、国分尼寺という位置づけでありながら、伽藍の完成までには相当の歳月を要したとみられる。天平宝字6年(762年)の「作金堂所解(さくこんどうしょげ)」および「造金堂所解案」という文書を見ると、この時点で金堂の建立工事がまだ続いていたことがわかる。なお、法華寺造営のための役所であった造法華寺司は延暦元年(782年)に廃止されており、遅くともこの頃までには伽藍整備が完成していたと見られる。発掘調査の結果、奈良時代の法華寺の境内は平城宮東宮の東に接し、北は一条条間路、南は二条条間路、東は東二坊大路、西は東一坊坊間路を境として、南北3町、東西2町に及んでいたことがわかった。創建当初の金堂や講堂は、現・法華寺南門のさらに南に位置し、金堂の南に中門、その南には東西両塔があったことがわかっている。さらに、境内南西部には天平宝字3年(759年)から翌年にかけて建立された阿弥陀浄土院があった。阿弥陀浄土院は、丈六の阿弥陀三尊像を本尊とし、『続日本紀』によれば、天平宝字5年(761)、光明皇太后の一周忌がここで営まれている。法華寺は平安京遷都以後は次第に衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃していたことが当時の記録から伺える。治承4年(1180)の平重衡の兵火では東大寺、興福寺が炎上し、法華寺も被害を受けたという。鎌倉時代に入り、東大寺大仏の再興を果たした僧・重源は、建仁3年(1203)、法華寺の堂宇や仏像を再興した。現在も寺に残る鎌倉時代様式の木造仏頭は、この再興時の本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)の頭部であると推定されている。さらに、その半世紀後、鎌倉時代中期の真言律宗の僧・叡尊によって本格的な復興がなされた。その後、明応8年(1499)12月、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣赤沢朝経によって焼き討ちされると、永正3年(1506)7月、再び攻め込んできた赤沢朝経によってまたも焼き討ちされた。そのうえ慶長元年(1596)には地震にもあって、最終的には東塔以外の建物を失った。現在の本堂、鐘楼、南門は慶長6年(1601)頃、豊臣秀頼と母の淀殿が片桐且元を奉行として復興したものである。なお、兵火や地震の被害をまぬがれていた東塔は宝永4年(1707)の地震で倒壊した。法華寺は叡尊の時代以来、真言律宗における門跡寺院としての寺格を保っていたが、1999年(平成11年)に創建当時のように独立した寺に戻ることなり、光明宗として独立し現代にいたる。(ウイキぺデアより抜粋掲載)

1.見事な山門その1.赤門(一度では撮影が難しい。)
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2.同上その2.左側の国重文の南大門を見る!
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3.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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4法華寺の文化財の案内碑文
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5.拝観料の支払場所です!
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6.境内の全箇所の位置図(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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7.国重文の鐘楼
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8.名勝庭園の一部に浮かぶ「悲光殿」
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9.国重文の本堂を右側から見る!右側には中門が見える。
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10.年間行事予定表(画像をクリックすると拡大して読めます。国宝の十一面観世音菩薩立像などは指定された特別開扉の日時のみです。)
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11.国史跡 名勝庭園入口
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12.国史跡名勝庭園の一部
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13.同上.
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14.同上
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15.同上
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16.本堂と続く県指定文化財の客殿を横から見る!
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17.仙洞御所より移築された回遊式庭園は客殿と共に国史跡に指定されており美しい杜若(カキツバタ)が堪能できます。
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18.見事な蘇鉄
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19.から風呂・光月亭への入口
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20.光明皇后の千人施浴伝説で有名な「国民俗指定のからぶろ(浴室)」
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21.駒札
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22.駒札
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23.光月亭(勿論、内部の見事な屋根裏や部屋も見学出来ます。)
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24.薬師堂の駒札
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25.薬師堂
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26.東庭園の一部を見る!
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