2019/3/4

京丹波を見る!福知山城主朽木氏の菩提寺・久昌寺!  文化財研修記

京都府福知山市寺町1番地には福知山城主であった朽木氏(くつきし)の菩提寺で曹洞宗の久昌寺(きゅしょうじ)がある。久昌寺は創建当初「久昌庵」という庵寺であって、十一屋某者(現盛岡市下ノ橋十一屋の先祖)が祇陀寺の奇山快秀和尚の為に造った閑居でありました。快秀和尚は十一屋三代の当主高橋祐吉と相談し、周囲の谷地を求め伽藍を建立し、布教・法要を執り行う道場とし、明暦2年(1658)開山導師として、報恩寺九世蘭翁嫩芝大和尚を勧請し、自ら二世大和尚として住職になられ、そのときから「奕葉山・久昌寺」と公称するようになりました。ご本尊は釈迦年尼佛、脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩であります。山門は楼門で総けやき造、銅版葺で昭和八年建立されたもの。久昌寺二十一世和尚の発願で、当時大圓寺(下閉伊郡川井村小国)の住職であった二十二世和尚に命じ伐採した欅で建てられたもので屋根から扇状に突出する「扇たる木造り」が特色であります。山門の周囲には数々の彫刻をはめこみ、扉には「天女」が彫りこまれ、大蟇肢には「牡丹に鳳凰」が、扉の両側には「昇り竜」「降り竜」が彫刻されてあります。山門楼上には「十六羅漢」を奉祀し、漢訳の大蔵経が納められています。 山門の鯱は南部家からの下賜の盛岡城乾の門の由緒あるものと言い伝えられていたが、長年風雨にさらされ、破損が著しく、平成8年3月補修のため取り外し調査したところ、言い伝えにたがわず、木彫りの鯱にこれの保護を意図したごとく、銅板で鯱を型どり覆工されていました。木部覆工部ともに腐食・破損が甚だしく、補修復元後再び風雨にさらすに忍び得ず、庫裡玄関に保存されています。現在の鯱は代替のものを求め設置されてえいる。本殿の狭い虹梁には柏原の名彫刻師中井一統の8代目中井権次橘正胤や中井清次良政実の合作の龍の彫刻がある。

1.久昌寺の標柱
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2.見事な山門です!
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3.山門をアップで見る!
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4.同上
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5.山門から本堂を見る!
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6.見事な石造りの七福神です!鐘楼も見事です。
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7.左側の七福神
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8.佛足跡の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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9.佛足跡
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10.巨大で見事な本堂です!
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11.本堂の虹梁(こうりょう)には柏原の名彫刻師・中井権次一統の龍の彫刻があります。
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12.同上
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13.駒札
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