2018/12/15

京を見る!祇園祭りでも有名な八坂神社!  文化財研修記

 社伝によれば、斉明天皇2年(656)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる。牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、名は新羅の牛頭山に由来するのだという。そして山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まる。
 貞観18年(876) 僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、藤原基経が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称した。延長4年(926) ある修行僧が祇園天神堂を建てた承平4年(934) 祇園感神院を建てた
 創建については諸説あるが、祭神は古くから牛頭天王(およびそれに習合した素戔嗚尊)であったことは確実である。古くからある神社であるが、延喜式神名帳には記されていない。これは神仏習合の色あいが濃く延暦寺の支配を受けていたことから、神社ではなく寺とみなされていたためと見られるが、後の二十二社の一社にはなっており、神社としても見られていたことがわかる。平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けた。
祇園祭は、貞観11年(869)に各地で疫病が流行した際に神泉苑で行われた御霊会を起源とするもので、天禄元年(970年)ごろから当社の祭礼として毎年行われるようになった。
 祇園社は当初は興福寺の配下であったが、10世紀末に戦争により延暦寺がその末寺とした。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認された。足利義満は、祇園社を比叡山から独立させた。だが、それで祇園社が幕府配下となったわけではなく、以降、祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っている。慶応4年(明治元年)の神仏混交禁止により「感神院祇園社」の名称を「八坂神社」と改めた。近代社格制度のもと、明治4年に官幣中社に列格し、大正4年に官幣大社に昇格した。(ウイキペヂアより抜粋)


1.見事な楼門(四条通りに面した西楼門、国重文)
クリックすると元のサイズで表示します

2.楼門の阿形の随身
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上 吽形の随身
クリックすると元のサイズで表示します


4.楼門から四条河原町方面を見る!
クリックすると元のサイズで表示します


5.祖霊社
クリックすると元のサイズで表示します


6.祖霊社の駒札
クリックすると元のサイズで表示します


7.南楼門
クリックすると元のサイズで表示します


8.藤屋と空也上人所縁の井戸
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上 駒札(画面をクリックして拡大すると読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します


10.忠盛灯籠
クリックすると元のサイズで表示します


11.同上 駒札(画面をクリックして拡大すると読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します

12.舞殿
クリックすると元のサイズで表示します

13.本殿(国重文、祇園造りと呼ばれています。)
クリックすると元のサイズで表示します

14.本殿向拝をアップで見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ