2018/11/1

京丹波を見る!後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額のある庵我神社!  文化財研修記

京都府福知山市庵我地区中には後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額(京都府指定文化財)を持つ庵我神社(あんがじんじゃ)。この社の創建は不明ですが宝亀4年(773)に社殿に泥棒が入ったという記録があるので相当以前にさかのぼるものと思われます。府の指定文化財である木造扁額は、後醍醐天皇の親任があつく歌仁でもあった朝廷の要人藤原行房が表に「正二位聖大明神」と書いたもので、それを三角彫りにした鎌倉時代の格式の高い文化財であります。この種の文化財は極めて稀でこの社と中央とを結びつける重要な文化財であります。
福知山市教育委員会社頭掲示板
庵我神社木造扁額 京都府指定工芸品(福知山市字中)
庵我神社は、旧丹波国天田郡庵我郷に所在する延喜式内社で、古くは「続日本紀』宝亀4年(773年)9月条に庵我社として現れます。中世には庵我郷から庵我荘が成立し、京都三条の青蓮院の支配を受けた鎌倉時代には、荘園鎮守の性格を有していました。木造扁額は、檜材の一枚からなリ、現状では右側3分の1のところで割れたものをつないでいます。裏面は長年の風雨によって檜の素地になっていますが、胡粉を塗った白の下地に彩色を施した痕跡が認められます。長方形の一重枠で囲まれた内区の中央には「正二位聖大明神」と彫られています。「聖明神」とは四祭神のうちに神功皇后を祀っているためといいます。裏面は黒塗りとして「元享3年(1323)」の銘と筆者の「藤原朝臣行房」の名が墨書されています。
筆者の藤原行房は、和様書道の一派である世尊寺流の嫡流であり当時一流の能書家として知られ、後醍醐天皇の側近として蔵人頭・左近衛中将を歴任し、天皇が隠岐に流された際も行動を共にした人物です。
この扁額は保存状態の良好な鎌倉時代の扁額の古例であるばかりでなく、能書家行房の数少ない真筆として、また、世尊寺流の書体の典型としてとても貴重なものです。

1.庵我神社の全景
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2.鳥居
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3.巨大なご神木の楠(福知山市指定)
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4.駒札
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5.拝殿を見る!
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6.阿形の狛犬
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7.吽形の狛犬
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8.見事な拝殿
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9.現在の扁額
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10.拝殿と本殿を見る!
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11.本殿んをアップで横から見る!
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12.本殿右手にある摂社の八幡神社・高良厄神社
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13.京都府指定文化財の藤原行房の扁額!
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14.同上 裏面と藤原行房の墨書

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