2018/1/23

京丹波を見る!33.亀山藩主青山氏が浜松から勧請した火伏の神・秋葉神社!  文化財研修記

紺屋町には元禄15年(1702)に、遠江浜松藩から丹波亀山藩に移封されて三代に渡ってこの地を支配し、形原松平家と領地を交換する形で丹波篠山に移った青山家ゆかりの秋葉神社(あきばじんじゃ)がある。丹波亀山藩の青山氏といっても、どうもイメージが湧きそうにありません!この機会に、明智光秀が亀山城を築いたあたりから、少し近世の丹波亀山の歴代領主について確認してみます。戦国時代末期、亀山地域(現京都府亀岡市)では、波多野氏をはじめとする諸豪族が攻防を繰り返していましたが、天正5年(1577)に、織田信長が明智光秀を派遣して丹波攻略を進めました。そして、天正7年(1579)に波多野氏を滅ぼすことに成功した光秀は、信長から丹波一国を与えられました。その後、天正10年(1582)に、本能寺の変を起こした光秀が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に滅ぼされると、秀吉は、信長の4男で秀吉の養子となっていた、羽柴秀勝に丹波亀山を与えます。しかし、秀勝は天正13年(1585)に病死し、秀吉の甥で同名の羽柴秀勝(豊臣秀勝)が代わって丹波に入ります。その後、天正18年(1590)に、秀勝の甲斐国転封によって、秀吉の甥・羽柴秀俊(後の小早川秀秋)が、丹波亀山を与えられました。そして、文禄4年(1595)、小早川秀秋(前年に小早川家の養子となりました)が、隠居した養父隆景の九州北部の領地を継承すると、豊臣5奉行として知られる前田玄以が亀山5万石を領有しました。こうして、近世丹波亀山藩は前田家によって始まりました。しかし、慶長七年(1602)に玄以が死去すると、藩を継承した子の茂勝は、丹波八上藩に移封され、僅か2年で丹波亀山藩は幕府の天領となりました。その後、慶長14年(1609)に譜代大名の岡部長盛が下総山崎藩から3万2千石で移封され(以後、幕末まで譜代大名が続きます。)、再び丹波亀山藩が誕生しましたが、大阪の陣で功績を挙げた長盛は、慶長二十年(1615)に丹波福知山藩へ加増移封されます。代わって、元和7年(1621)、三河西尾藩より大給松平家の松平成重が2万2千石で移封され、寛永10年(1633)の成重の死後は、二代忠昭が継承しますが、翌寛永11年(1634)に豊後亀川藩に移封されます。その後、近江膳所藩から菅沼定芳が4万1千石で移封され、寛永20年(1643)の定芳の死去後は、二代定昭が継承しますが、慶安元年(1648)に定昭が若くして嗣子無く死去したことから改易となります。代わって藤井松平家の松平忠晴が3万8千石で移封され、二代忠昭を経て、貞享3年(1686)三代忠周が武蔵岩槻藩へ移封されるまで続きます。貞享3年(1686)、久世重之が備中庭瀬藩より5万石で移封されますが、元禄10年(1697)に三河吉田藩へ移封となり、美濃郡上藩より井上正岑が4万7千石で移封されますが、元禄15年(1702)に、常陸下館藩へ移封されます。さらに、遠江浜松藩から青山忠重が5万石で移封され、二代俊春を経て、三代忠朝が寛延2年(1749)に丹波篠山藩へ移封されるまで続きます。そして、代わって形原松平家の松平信岑が丹波篠山藩から5万石で移封されて来ると、その後は、信直、信道、信彰、信志、信豪、信義、信正の8代123年に渡って形原松平家が亀山藩を継承し幕末に至りました。

1.紺屋町の秋葉神社
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2.駒札(秋葉神社については画像をクリックっすると拡大して読めます。)
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3.秋葉神社をアップで見ます!
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4.拝殿内陣
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5.素朴な紅葉を神社の外から見ます!
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