2018/1/14

京丹波を見る!30.小早川秀秋公が城主の時、息子の一存の為に米2石を寄進した五箇寺の一つ壽仙院!  文化財研修記

京都府亀岡市本町64には浄土宗霊松山・壽仙院(じゅせんいん)があります。元亀3年(1572)、霊松山浄土寺として創建されたと伝えますが詳細は不明です。明智光秀が厚く帰依した大誉春光和尚(だいよしゅんこうおしょう)を中興開山として亀山城の本丸の地にあり、天正20年(1592)小早川秀秋が息子の一存の菩提を弔うために米二石を寄進した五箇寺の一つとして寺名が壽仙院と改称されました。さらに亀山城主前田徳善院玄以(まえだとくぜんいんげんい)の時、現在地に移されました。境内の裏には元福知山城主の小野木公知(おのぎきんとも)(重勝)の墓があります。公知は豊臣秀吉の大母衣衆(おおほろしゅう)として活躍し、関ヶ原の合戦では西軍に属して丹後の田辺城を占領しましたが、石田三成方の敗戦により細川忠興に城を包囲され、助命と所領安堵を条件に降伏しました。しかし条件が果たされないまま慶長5年(1600)、当寺で自害をして果てました。

1.壽仙院の駒札
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2.本堂
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3.境内
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