2017/6/29

遠州浜松を見る!3.おんな城主直虎の婚約者であった井伊直親のお墓!  文化財研修記

浜松市北区細江町中川には「大河ドラマ女城主・直虎」の婚約者で有った井伊直親(なおちか、亀之丞)のお墓があります直虎が生きた時代、数奇な運命を背負ったもうひとりの井伊家の主役が、直親です。井伊家領主の直盛には、後に直虎を名乗る娘が一人いるだけで男子に恵まれなかったため、直盛の叔父の直満は自分の嫡男、亀之丞(後の直親)を跡継ぎにしようとしました。しかし、そのことに反発した家臣、小野和泉守の密告により、直満は謀叛の疑いをかけられ、弟の直義とともに今川義元に自害させられます。さらに直親も命を狙われて信濃の寺に身を隠すことになってしまいました。直親は、幼い頃からの直虎の許嫁でした。許婚が信濃に向かってしまったことを知り、直虎は龍潭寺で出家することとなります。
11年後の弘治元年(1555)直親は無事に井伊谷に戻り直盛の養子となって家督を継ぎます。出家していた直虎とは結ばれませんでしたが、家臣の娘と結婚をして井伊家待望の男子、虎松をもうけます。しかし、桶狭間の戦いで直盛が戦死した後の永禄5年(1562)。直親は、小野但馬守(父の直満らを謀殺した和泉守の嫡男)の讒言により、敵方の松平元康(後の徳川家康)と通じているという疑いを今川からかけらます。そして、その弁明に向かう道中、今川の家臣の襲撃にあい、殺されてしまいました。
笛の名手で、美貌の若武者だったとされる直親は、わずか27歳でこの世を去りました。
この後、女城主となり、幼い跡取り、虎松を守ったのが直虎でした。そして、この虎松こそが、後に徳川四天王のひとりで、井伊家中興の祖となる直政です。
金指街道の堤防の下に、土盛りと墓碑があります。墓碑前の立派な灯籠は、徳川幕府の大老となった井伊直粥が、薄幸の先祖を思って寄進したものです。

1.都田川堤防の右側の土手下に井伊直親のお墓があります!
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2.土手下にある井伊直親の墓地
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3.井伊直親のお墓(両側には幕末の大老・井伊直弼寄贈の石灯篭です。)
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4.駒札
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5.もう少しアップでお墓を見ます!
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