2017/2/24

徳島・讃岐を見る!34.源平合戦の時、安徳天皇の行在地となった真言宗の古刹・六萬寺!  文化財研修記

高松市牟礼町1450(琴電六万寺駅から徒歩10分)で真言宗の古刹・六萬寺(ろくまんじ)に至る。天平2年(730)聖武天皇が讃岐の国主高晴公に禄を増し、新たに領地六万戸を御下賜になりました。高晴公は大変喜び、国家の豊穣を祈り大恩に報いるため牟礼の郷に寺院を建立しました。これをお聴きになられた帝より『国豊寺』という寺号の勅額と新羅王から献上の阿弥陀仏を本尊にせよと賜ったのが寺の始まりであると伝えられています。その後40年ほど経って宝亀年中(770〜780頃)に国内に流行した疫病を鎮めるため当寺にて一大祈祷会を修したところただちに治まりました。これを喜んだ高晴公は六万戸の領民に一戸一躯の銅の仏像を奉納せしめたため六萬寺と呼ばれるようになりました。その霊験あって以来、多くの信心を集め七堂伽藍を備え、今の琴電八栗駅から大町駅にもおよぶ壮麗な寺院となりました。源平合戦時代の六萬寺は寿永2年(1183)9月、源平合戦のさなか安徳天皇が屋島に御遷幸なされる時、御殿の築造が間に合わず、三種の神器と共に翌年まで御行在所として六萬寺にお留まりになられました。その後一旦、京へお帰りになる予定で摂津までお上りになられましたが一の谷の戦いで敗れ、再び当地に御遷幸なされたと伝えられています。その時お供をした公卿らの詠んだ歌が残されています。
 嬉しくも 遠山寺に 尋ね来て 後のうき世を 洩らしつる哉        三位中将 平 重衡
いざさらば 此山寺に すみ染の 衣の色を 深くそめなむ         経誦坊  祐円
 世の中は 昔語りに なれぬれど 紅葉の色は みしよなりけり       但馬守  平 経政

1.案内札
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2.六萬寺標柱
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3.駒札
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4.境内と庫裏
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5.本堂
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6.薬師堂
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7.薬師堂内の須弥壇
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8.境内の「役行者像」など
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