2017/2/14

徳島・讃岐を見る!29.日本12名城の一つで日本一高い石垣の丸亀城!2−2!  文化財研修記

香川県丸亀市には「日本12名城の一つで日本一高い石垣を持つ丸亀城」がある。丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。生駒氏は慶長6年(1601)に宇多津より人を移住させています。今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年(1615)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。生駒氏の丸亀城絵図は、前田育徳会尊経(そんけい)閣文庫や国会図書館に残っています。絵図によると、天守は山上の最高所中央部に建っていました。また、「縄張り」と呼ばれる城の形も現在とは違っています。平成5年度の天守横の石垣修理時に、石垣に埋もれた生駒氏時代と推定される石垣が発見されています。これらの絵図に武家屋敷や城下町の記載はありません。 正保2年(1645)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築するときに作成した絵図が、国立公文書館に残っています。正保城絵図(しょうほしろえず)と呼ばれる絵図で、この絵図には城郭・武家屋敷・城下町の記載があります。 山上の縄張りは現在の形とほぼ一致し、扇の勾配の高石垣は、山崎氏の手によるものです。この絵図には古町(こまち)と書かれた箇所があります。生駒氏時代からある町で今の御供所町、北平山町、西平山町、本町、南条町、塩飽町・城西町二丁目・中府町五丁目の一部がこれに当たります。また、大手町を除く番丁の武家屋敷地は当時の道路や区画が今も残っています。(HPより抜粋)

1.高浜虚子の句碑
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2.見返り坂
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3.三の丸跡
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4.二の丸跡
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5.二の丸跡から天守閣を見上げます。
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6.見事な天守閣です!
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7.別な角度から天守閣を見る!
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8.駒札
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9.天主台から丸亀港を見る!
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10.丸亀市街を見下ろす!
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11.見事な天守閣をもう一度見て、さようなら!
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