2016/7/31

高知・伊予を見る!11.土佐一之宮で長宗我部元親が再建した国重文の本殿・幣殿・拝殿等を持つ土佐神社!  文化財研修記

高知市一宮しなね2−16−1には延喜式内社の土佐神社がある。ご祭神は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)を祀っている。『日本書紀』の天武天皇4年(675)年3月2日の条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」とあり、また朱鳥元年(686)の8月13日の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とあり、祭神は土左大神とされていますが、『土佐国風土記』逸文には「‥土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊のみ子、味鋤高彦根尊なりといへり。」とあり、祭神の変化がみられ、祭神を一言主尊と味鋤高彦根尊としています。この二柱の祭神は、古来より賀茂氏により大和葛城の里にて厚く仰ぎ祀られる神であり、大和の賀茂氏または、その同族が土佐の国造に任ぜられたことなどより、当地に祀られたものと伝えられています。土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶3年(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元年(1570)には、長宗我部元親が、戦の勝利の報告に「入蜻蛉(いりとんぼ)建築」の本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長6年(1601)には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治4年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和21年(1946)官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。味鋤高彦根神は、大国主神の御子であらせられ、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様であることが伝えられ、一言主神は、和合協調の神として一言で物事が解決されるという特殊な信仰のある神様です。これにより当社は、古くより南海の総鎮守として家内安全、農産繁栄、建設、政治などの神様とされ、さらに御功績により航海安全、交通安全、病気平癒の神様と称えられるなど、広く開運招福の御神徳があるとして、崇敬されています。

1.国重文で土佐藩二代目藩主山内忠義が再建した楼門と標柱
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2.同上 楼門
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3.神社の駒札
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4.楼門の阿形随神(木の格子と金網で撮影が難しい!)(右大臣と呼ぶ格式ある神社もあります。)
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5.吽形随神(左大臣)
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6.長い参道にびっくり!
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7.手水舎
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8.大鳥居
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9.入蜻蛉建築の拝殿(長宗我部元親造営の国の重文)
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10.二代目藩主山内忠義造営の国重文の鼓楼
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11.拝殿をアップで見る!
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12.参拝順路
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13.拝殿を斜めから見る!
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14.拝殿内陣を見る!
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15.国重文の幣殿を横から見る!
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16.三摂社を見る!
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17.同上
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18.幣殿後部と本殿を横から見る!
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19.珍しい「輪抜け祓所」
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20.同上 駒札
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