2016/7/25

高知・伊予を見る!8.長宗我部元親初陣の像と若宮八幡宮!  文化財研修記

高知県高知市長浜6600 には主祭神の応神天皇、神功皇后、宗像三女神 (市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命)を祀る若宮八幡宮がある。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の記述によれば、源頼朝は平氏を討ち果たした文治元年(1185)に京都六条にあった祖父源為義邸跡に石清水八幡宮を勧請し六條若宮八幡宮を創建した。この時、土佐国吾川郡一円を六條若宮八幡宮の神領とし、鎮護のために同年12月30日、当地にも若宮八幡宮を分祀したとされている。戦国時代の永禄3年(1560)長宗我部元親は初陣に臨み、若宮八幡宮馬場先に陣を構えた。この時に初陣を勝利で飾った。以来、元親は合戦のたびに当社で戦勝祈願を行うようになった。江戸時代に入り山内氏が土佐藩主となって以後も崇敬され藩主祈願八社の一つとされた。明治時代になり近代社格制度が制定されると、明治6年(1873)郷社に列した。更に昭和5年(1930)には県社となった。現在は高知市南部(長浜、御畳瀬、浦戸、横浜)の総鎮守となっている。
長宗我部元親が合戦のたびに当社で戦勝祈願を行うようになり、拝殿は出蜻蛉式(でとんぼ建築)に立て直された。また、凱旋報告を行う土佐神社の拝殿を入蜻蛉式(いりとんぼ建築)に改めた。日本では蜻蛉は勝ち虫とも言われ古来より縁起物とされてきたことによる。天正14年(1586年)豊臣秀吉に従軍し島津討伐に向かう際、元親は戦勝祈願を行った。この時、軍旗が鳥居の笠木に引っかかって落ちた。衆人はこれを不吉としたが、元親は「敵を笠にかけて討伐する吉兆である」と出陣した。しかし、戸次川の戦いで嫡子信親を失うなど惨敗となった。憤慨した元親は帰国後、この鳥居を不祥のものとして解体し海に流したという。幕末の慶応元年(1865)に地震があった際に鳥居の基礎が浮き出たという。これは神意であると明治3年(1870)木製にて鳥居を再建した。老朽化により昭和11年(1936)に建て替えられた。現在の鳥居は、木製鳥居が老朽化したので昭和55年(1980)鉄筋コンクリート製にて建て替えられたものである。長宗我部元親初陣像は外苑に建つ銅像で平成11年(1999)元親没後400年を期して造られた。槍を持ち像の前にある四国地図を掴もうとする姿になっている。四国地図には初陣当時の四国の勢力分布が記されている。台座を含めた高さ約7メートル、槍の長さ約6メートルもある。

1.若宮八幡宮の標柱と鳥居
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2.阿形の狛犬
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3.吽形の狛犬
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4.長い外苑の参道
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5.長宗我部元親初陣像の駒札
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6.長宗我部元親没後400年祭(平成11年)で造られた22歳の初陣像!高さ7メートル、槍は6メートルもあるそうです!(この歳で初陣で大勝利した!)
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7.老生の写真は何時も左下がりだそうです!もう1枚撮影!
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8.この像のほぼ反対側は「どろんこ祭り・神田」です!
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9.下記をクリックして、「音声付動画」でごろんこ祭を見て下さい!
https://youtu.be/X9CskpmxoVI


10.若宮神社の注連縄
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11.鳥居
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12.鳥居の駒札
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13.見事な拝殿は出蜻蛉式(でとんぼ建築)
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14.拝殿、幣殿、本殿と続句がどうしても撮影できない!後日インターネットで探しでも本殿の写った写真は無かった!
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15.で!再度、見事な拝殿は出蜻蛉式(でとんぼ建築)を撮影した!
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16.多くの摂社や見事な末社も多かったが、ここでは天神宮のみを取り上げた!駒札
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17.天神宮
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17.縁起の好い亀石が有ったので撮影!
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