2016/4/27

豊後・阿蘇を見る!49.黒田官兵衛の最大の敵であった宇都宮鎮房を祀る城井神社!  文化財研修記

城井谷城主宇都宮家は信房より鎮房(しげふさ)に至る16代およそ四百年の間豊前国守として徳政を布いた。 天正15年(1587)5月豊臣秀吉は九州平定にあたり豊前6郡を黒田孝高に、2郡を毛利勝信に与え、鎮房には四国今治(12万石)移封の御証判を与えた。
鎮房は累代の墳墓の地の安堵を願い、このご朱印状を返上したため、宇都宮一族は黒田孝高、長政と豊前の地で死闘を繰り返すこととなり、黒岩山合戦(峯合戦)では長政を敗退させた。
そこで秀吉は孝高と謀り所領安堵を条件として長政と鎮房の息女千代姫(鶴姫)との婚を約し和睦した。天正16年(1588)4月20日鎮房は中津城に招かれ酒宴の席で謀殺された。
天正19年長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として鎮房を祀り、福岡移封後はその地に警固大明神として祀った。 宝永2年(1705)小笠原長円は小社を建て城井大権現として崇め、その後幾度かの変遷の後城井神社(きいじんじゃ)として改められた。

1.城井神社標柱と拝殿
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2.拝殿を正面から見る!
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3.駒札
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4.拝殿の裏にある本殿はほんの少ししか見えない!
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