2016/4/11

豊後・阿蘇を見る!41.黒田官兵衛建立の浄土宗の円応寺!  文化財研修記

円応寺(えんおうじ)は天正15年(1587)豊臣秀吉により豊前6郡の12万石を与えられ備前から豊前・中津に移封した黒田孝高(後の如水)の開基、真誉上人見道上人開山による浄土宗の寺院で、黒田、細川そして小笠原と各藩主より篤く崇敬されています。又、河童の由来の寺として名高い寺院とされ、境内の案内板では次の内容の記載があります。「江戸中期当寺の寂玄上人が河童どもを仏の道に入らせ修業の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童たちは上人への御恩返しに寺を火災から守ったという。この寺の瓦には「水」の印の瓦が葺かれていて、水乞いの祈りが捧げられと言う。境内に「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には河童の頭目の回向を行っている。頭目たちの戒名を彫った火難水難除けの護符の版木も残されている。尚当寺開山の真誉上人ですが彼は播州赤穂の出身で武門で名高い赤松氏の流れを伝える名家で黒田氏と同郷で孝高が中津に移る時も黒田氏に同道しています。更に慶長3年(1600)に小倉に於いて同名の円応寺を建立、そして慶長7年(1602)如水室である光の方が出家し福岡城大手門が見える地に寺院を創建の折には室の招きにより円應寺の開山として役割を果たしています。尚、今も残る河童の墓は黒田二十四騎の一人野村太郎兵衛の墓とも言われています。

1.円応寺山門(瓦の○水に注意)
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2.駒札
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3.見事な鐘楼
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4.観音堂
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5.堂内の十一面観世音菩薩様
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6.駒札
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7.駒札
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8.河童のお墓(丸水瓦にご注意。黒田二十四騎の一人野村太郎兵衛の墓とも言われています。)
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9.河童の池
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