2015/8/26

小さな越前の旅!7.(最終回)小京都・越前大野城下町!  文化財研修記

 城下町とは戦国時代から始まった都市の形態のひとつで、城の防衛施設であるとともに、行政・商業都市として機能してきました。 天正4年(1576)に安土城を築いた織田信長は、兵農分離により武士を城下に住まわせ、楽市楽座によって商工業の発達を活発にしました。これが、近世城下町の発展に大きく貢献したといわれています。大野の城下町は、この信長の初期親衛隊「小姓衆・赤母衣(あかほろ)衆」であった金森長近によってつくられました。大野の地が長近に与えられた理由は、この当時、信長は度重なる「信長包囲網」によって全国の戦国大名を相手に苦戦を強いられており、東海から北陸へのルートを「岐阜城」「郡上八幡城」「越前大野城」によって統治下に置いて、この包囲網を分断することが目的だったと考えられます。天正3年(1575)、大野郡の3万石の領主となった長近は、亀山山頂と東の麓に城(天守閣、二の丸、三の丸)を築き、さらにその東側に城下町を展開しました。このように半矩形で整備された城下町を「梯郭(ていかく)式」といいます。また、町人屋敷は東西・南北それぞれ6筋の通りによって短冊形に区切られ、「北陸の小京都」と呼ばれています。 長近が築いた天守閣は小高い山上に築かれている「平山城」であることから、敵の攻勢を防ぐ「防衛施設」として建てられたことがわかります。

1.滾々と湧き出る「御清水(殿様清水)」
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2.同上
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3.厄除名水地蔵尊
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4.同上
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5.朝倉義景公墓の駒札
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6.同上 お墓
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7.同上
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8.義景清水駒札
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9.義景清水
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10.天空の城・越前大野城天守閣が見える!
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11.武家屋敷駒札
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12.外から外見を見る!
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13.同上  庭園の一部
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14.元「百間堀跡」
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15.藩主隠居所駒札
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16.藩主隠居所の外見を見る!
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17.庭園の一部
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