2015/3/30

湖北の文化財・史址を見る!3.竹生島の国宝の唐門を持つ宝厳寺など、その2.!  文化財研修記

竹生島の古刹真言宗の宝厳寺(ほうごんじ)は、神亀元年(724)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。 行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長7年(1602)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂(国重文)や唐門(国宝)などを移築させています。明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ、竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868)に発布された『神仏分離令』により大津県庁より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。しかしながら、全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和17年、現在の本堂が再建されました。本尊大弁才天は、日本三弁才天の一つとして、又、他の二つは安芸の宮島と鎌倉の江の島です。この観世音菩薩は西国33ヶ所観音霊場の第30番札所として参拝の方々の姿が絶えず、その詠歌の声が響いています。(当山のHPを抜粋及び加筆)

1.明治維新の神仏分離令前の石の大鳥居(現在は都久夫須麻神社の鳥居となっています。)
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2.宝厳寺の残り鳥居
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3.見事な手水舎
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4.本坊
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5.手水舎
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6.165段の石段を参道です!!
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7.途中、左手には護摩堂があります!
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8.護摩堂内
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9.見事な鐘楼です!
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10.又、見事な手水舎があります!!
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11.本堂(弁財天堂)
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12.須弥壇には秘仏の弁財天が祀られています!
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13.左側には中々見事な弁財天像があります!
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14.須弥壇の真ん前には願を書いて備えると御利益があるというダルマ様が一杯です!
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15.須弥壇に向かって右側にはこれまた、見事な弁財天像が祀られています!
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16.樹齢400年以上で片桐且元お手植えのモチノキです。
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17.三重塔(火災で2000年に350年振りに再建されたものです!)
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18.国宝の唐門(秀吉公が建てた唯一の大阪城の遺構で、極楽橋の一部と云われています。)
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19.国宝の唐門(唐破風は桃山時代を象徴する造りです。)を正面から見る!
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20.唐門の見事な彫刻
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21.唐門をくぐり国重文の観音堂へ向かいます。
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22.観音堂内
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23.観音堂内の彫刻
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24.国重文の舟廊下(秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用したものです。)
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25.聖武天皇時代の僧・行基(行基菩薩と後呼ばれた。)を知りたい方は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2006.html

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