2015/2/21

九州の文化財・史址を見る!20.国宝の大浦天主堂(日本二十六殉教者天主堂)!  文化財研修記

長崎市南山手町2−18には国宝の大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)がある。長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、元治2年(1865)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。正式名は日本二十六聖殉教者堂です。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。昭和28年(1953)に国宝に指定された。また、平成19年(2007)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。観光客の増加に伴い、昭和50年(1975)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われています。文久2年(1862)12月 フランスのパリ外国宣教会宣教師で日本教区長のジラール神父の命により、横浜にいたフランス人司祭(神父)フューレが長崎に赴任。司祭館と教会堂の建築準備に着手しました。西坂の丘に慶長元年12月19日(1597)殉教した26名(日本二十六聖人)が、この年にローマ教皇ピオ9世により列聖されました。元治2年(1865)1月24日 大浦天主堂が完成、献堂式が挙行された。二十六聖殉教者堂と命名され大浦天主堂は日仏修好通商条約に基づき、フランス人の礼拝堂として建設され、教区長ジラールが宣教師プティジャン、ロカーニュを従え、献堂式を執り行った。献堂式には居留外国人を含め、長崎港に停泊中のフランス、ロシア、イギリス、オランダの艦長がそれぞれカトリック信者の水兵数名を従え参列した。 設計はフューレ、プティジャンの2名で施行は天草御領島出身の小山秀之進が大工棟梁として施工しました。様式は3本の塔を持つゴシック風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はなまこ壁という特殊なスタイルであった。明治8年〜明治12年 天主堂の大規模な増改築を実施。 外壁を煉瓦造にあらため完全にゴシック風の建物になるなど、創建当時の外観から大きくその姿を変えた。木造だった創建時に対し、明治12年5月22日に献堂された新教会堂は九州初の煉瓦造構造となった。昭和28年年(1962)3月31日 文化財保護法に基づき国宝に指定された(洋風建築としては初の国宝指定である)。(教会HPを抜粋)

1.市電・大浦天主堂下で下車(此処には南山手居住街跡碑などがある。)
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2.石畳の坂道を登って行く!
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3.三本の塔をもつ正面はバロックで美しいゴシック風の国宝の大浦天主堂が見えて来た!
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4.左側には「この教会へ初めて日本人の隠れキリシタン信者が名乗り出た100周年記念のレリーフ」1965年2月17日建立。
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5.法皇聖ヨハネ・パウロ二世の胸像
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6.国宝の美しい大浦天主堂
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7.正面をアップで撮影!
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8.大浦天主堂近くから長崎港を見る!
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