2015/2/14

九州の文化財・史址を見る!17.ほおずき祭(祇園祭)で有名な長崎の八坂神社!  文化財研修記

長崎市鍛治屋町8番53号には 素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る八坂神社がある。盛夏7月に執り行われる「ぎおん祭」は約380年前より疫病退散、家内安全、天下安泰の神事として行われてきました。長崎の人々には親しみを込めて「ぎおんさん」と呼ばれています。古くから「長崎の夏は祇園さんのほおずき市で始まり、中国盆会で終わる」と言われるほど、八坂神社のほおずき市は7月第4土曜日をはさむ金、土、日曜日長崎の夏を彩る風物詩のひとつとして、人々から親しまれてきています。陽が落ちる夕刻より、縁起物の「ほおずき」を買求める人、 夕涼みを兼ねた浴衣姿の参詣の方が訪れる風景は、「夏の風物詩」です。起源は長崎市今篭町に樹齢数百年を数える一老木があり。いつの頃からか此の樹蔭に小石祠を設けて天王社と称し、霊験殊に著しとして里民の崇敬を集めた。寛永3年(1626)長崎奉行の許しにより京都祇園社の御神霊をその天王社に合祀し、祇園宮延寿院と称した。寛永15年(1638)) 当社参拝の老若日に数を加えたこと、人口の増加のため街膨張したことによりそれまでの敷地が狭隘となり、当時人家からは程遠い所であった現在の地に遷宮された。元禄15年(1702) 悪疫退散予防の神事を行い、神輿市内巡幸の儀を行った。この行列に供奉すれば疱瘡を免れるとの信仰により、子を持つ親は幼児を抱いたり、背に負い幣を捧げて参加した。明和3年(1766) 西古川町より出火した大火に際し、当社も難を免れず正殿、拝殿、庫理などを焼失し致命的損害を受けた。安永2年(1773) 市中の町々や人々の寄附により再建された。明和3年の大火の経験からそれまでの社地の上段を切り開き、土石を運び石壁を築きさらに壇を設けて神殿を建立した。現在の境内地は大部分がその当時のものである。明治元年(1868)ながく祇園社と呼ばれていたが、明治維新の神仏分離に伴って、時の九州鎭撫総督澤宣嘉卿により八坂神社と命名され現在に至る。(神社HPを抜粋編纂)

1.平戸島より平戸大橋を渡る!
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2.日本最西端の松浦鉄道の「かびら平戸駅」碑
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3.松浦鉄道でJR佐世保駅乗り換えJR長崎駅に至る!
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4.長崎は市電を利用し見学
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5.寛永3年(1626)京都の祇園社の分霊を合祀した八坂神社の朱の大鳥居と標柱
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6.二の朱の大鳥居と神門を見上げる!
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7.見事な神門
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8.手水舎
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9.筆供養塚
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10.拝殿を斜めから見る!
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11.拝殿、権殿、本殿と格式が高い!
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12.清水寺から再度、拝殿、権殿、本殿を見下ろす!
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13.境内社の櫻姫美人稲荷(若い女性に人気のあるスポットである諭旨!なるほどと感ずる!)
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