2014/6/29

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主家所縁の鳥羽の城下町を歩く!7.九鬼藩家霊廟のある常安寺!  文化財研修記

三重重県鳥羽市鳥羽二丁目12−3には曹洞宗永平寺派の玉龍山・常安寺(じょうあんじ)がる。ご本尊は釈迦如来坐像にて創建年は慶長12年(1607)で常安寺に改称した年である。
開山は貫室善道、開基は九鬼嘉隆(くきよしたか)で鳥羽市指定文化財5点がある。鳥羽藩初期の藩主・九鬼氏の菩提寺である。鳥羽志摩には曹洞宗の寺院が多いが、九鬼守隆がこの寺の伽藍を整備したことと、鳥羽藩後期の藩主・稲垣氏が曹洞宗の金胎寺を菩提寺としたことが影響している。鳥羽三山の1つ樋ノ山の北麓に位置する。水軍を率いた九鬼嘉隆の子である九鬼守隆が父・嘉隆を開基に立て、父の帰依が深かった玉龍山大福寺を一大伽藍とした寺院である。
 本堂を中心に、薬師堂・准提堂・庚申堂・十王堂・地蔵堂などの堂と山門、鐘楼がある[3]。九鬼家の墓所は、山門から本堂の方向を見た時、左手にある山裾を進むとある。境外には、鎮守として豊川だ枳尼尊天堂がある。屋根瓦などには九鬼家の家紋である九曜星が入っている。
 創建年代は不詳であるが、本尊の釈迦如来坐像は室町時代の作である。常安寺を名乗る前は玉龍山大福寺と称し、真言宗の寺であった。文禄の役(文禄元年 - 文禄2年(1592−1593)の折に九鬼嘉隆の香花院となる。九鬼嘉隆は曹洞宗への信仰が篤く、三河国宝飯郡(現在の愛知県豊川市)の豊川妙厳寺から天堂伊尭(てんどう いぎょう)禅師を招き、大福寺を 曹洞宗に改めた。慶長5年(1600)、豊川妙厳寺七世悳善達和尚の法嗣・貫室禅道和尚を大福寺に招聘(しょうへい)し、同寺の末寺となった]。同年、九鬼守隆は両親の菩提を弔うため、大福寺の改築を開始した。当時の本堂は現在の薬師堂だったとされている。慶長12年2月(グレゴリオ暦:1607年2月〜3月)に七堂を持つ伽藍が落成、入仏式に際して玉龍山大福寺を東照山常安寺に改めた。九鬼守隆は寺領100石と境内外の灯籠の油料20石を寺に寄進した。こうして九鬼氏から保護を受け大きくなった常安寺であったが、寛永9年(1632)に守隆が逝去し、翌・寛永10年(1633)に家督争いが原因で九鬼氏が国替えとなると、寺領と油料は失われた。しかしその後も九鬼氏の崇信は続き、丹波国綾部藩に転封となった九鬼隆季は、遺言により常安寺で葬儀を執り行った。また、摂津国三田藩に移封となった九鬼久隆 は以前から移封先にあった梅林寺を心月院に改名し、常安寺から覚雄是的和尚を招き、心月院を宗廟とした。万治から元禄(1658−1703)にかけての間に山号が東照山から玉龍山に自然に戻る]。文政9年(1812)に本堂を改築。嘉永7年(1854)に発生した安政東海地震では、内陸にある常安寺まで津波が押し寄せたという記録がある。慶応2年(1866)には、稲垣氏3代の墓所が九鬼氏の廟所の隣に設けられた。稲垣氏は歴代の墓を群馬県伊勢崎市にある天増寺に置いているが、幕末の激動期にあって同寺に移すことができず、鳥羽市にある菩提寺の金胎寺の境内が狭かったため、常安寺に墓を置くこと となった。明治時代には西南戦争勃発を受け、鳥羽港に寄港した明治天皇が常安寺の奥書院に宿泊した。昭和25年4月23日から5月7日にかけて開催された「パールカーニバル 鳥羽みなとまつりでは、昭和天皇の採集された標本の展示を常安寺で行った。寺宝として、九鬼嘉隆が自害した際に用いたとされる短刀がある。以下の5点が鳥羽市の文化財に指定されている。常安寺の涅槃図は 有形文化財(絵画)、安土桃山時代で 文禄の役で九鬼嘉隆が李氏朝鮮から持ち帰ったものとされる。常安寺薬師堂の鰐口は有形文化財(工芸品)で江戸時代、九鬼守隆の寄進。伊勢・志摩両国の境界を示す史料の1つである。常安寺境内の石燈籠は九鬼守隆の寄進。灯籠の高さは2.8メートル、幅1メートル、稲垣氏歴代の墓碑及び霊廟、霊廟は鳥羽市の金胎寺にある。幕末の稲垣氏の墓所。九鬼家の廟所は散在する墓を供養墓を1ヶ所に集めたものです。


1.常安寺前の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

2.明治の西南戦争の時、この寺の奥書院に滞在された記念の「明治天皇行在所碑」と薬師堂
クリックすると元のサイズで表示します

3.山門
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

5.旧本堂の鬼瓦(文政7年(1824)の銘がある。)右、黒丸7つの九曜紋(本紋)左、略紋
クリックすると元のサイズで表示します

6.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.本堂の見事な変額と彫刻
クリックすると元のサイズで表示します

8.九鬼家、稲垣家霊廟への道
クリックすると元のサイズで表示します

9.九鬼家霊廟の駒札(画面をクリックして拡大して見て下さい。)
クリックすると元のサイズで表示します

10.九鬼霊廟
クリックすると元のサイズで表示します

11.九鬼氏の後、入部した譜代大名稲垣家霊廟入口
クリックすると元のサイズで表示します

12.稲垣氏霊廟
クリックすると元のサイズで表示します

13.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

14.答志志島和具浦にある九鬼嘉隆公の胴塚
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ