2014/6/19

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主所縁の鳥羽の城下町を歩く!松坂城2−2!  綾部の文化財

 松坂城は三重県松阪市殿町にあり、 平山城(独立丘陵上に築城)で三重県指定史跡です。
遺構は往時の建物はないが、天守台と、野面積による高石垣が残っている。現況 本丸、二の丸一帯は松阪公園として整備されている。 松阪城は蒲生氏郷(織田信長の女婿)が天正12年(1584)近江国日野城6万石から伊勢国12万3千石を与えられて、この四五百森(よいほのもり)に構築した。 天正16年(1588)伊勢の松ヶ島城に入った氏郷は、城が狭く海岸に近すぎるので、古城砦のあった四五百森(宵の森)に大規模な要害城である松坂城を築いた。
このときに、3層の天守も建てられたといわれ、天守台の石垣は不等辺四角形をなしている。そして、城名を松坂城と名付けた。松坂の名は、氏郷は小田原征伐の功と伊達家に対応するため豊臣秀吉に天正18年(1590)陸奥国の会津若松60万石に移封された。 氏郷が会津若松へ移封後、  天正19年(1591) 服部一忠(はっとりかずただ)  文禄4年(1595) 古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)紀州藩領となって、勢州領18万5千石を統轄する城代が置かれた。城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・希代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・希代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。3層の天守と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政6年(1794)に建立された徳川陣屋があった。明治になって松阪に改名された。
■御城番屋敷(ごじょうばんやしき)
美しい槇垣と石畳が残る。江戸末期に松阪城警護のために派遣された旧紀州藩士たちの組長屋。現在も子孫が維持管理して暮らしている。

1、城郭模型
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2.月見櫓跡
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3.月見櫓にある文学碑
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4.月見櫓跡碑
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5.月見櫓から大手門を見下ろす!
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6.本丸跡へ向かう!
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7、本丸跡と横の金網は深い井戸の簿危険防止のためです!
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8.天守台跡
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9.天守閣跡碑
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10.天守閣は三層であった!
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11.城跡にある「本居宣長記念館」前を通る!
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12.恩城番屋敷を見下ろす!
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13.裏門(搦手門)の」前には文政6年の銘の入った石灯籠がある。
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14.御城番屋敷の駒札
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15.御城番屋敷の土蔵
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16.御城番屋敷前の整然とした通りです!
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17.屋敷内(今も人々が住んで管理しています。)
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