2014/5/12

行基創建の本堂(国宝)のある長弓寺・霊山寺と行基の墓のある竹林寺を訪ねて ご案内  文化財研修記

期日:6月4日(水)JR綾部駅8時出発、募集人員90名、参加料9000円(会員外+1000円)詳細は下記をご覧ください。

「綾部市文化協会後援」
第四十五回春の研修旅行「奈良県の有名な行基創建の国宝の本堂を持つ長弓寺、霊山寺、行基のお墓のある竹林寺を訪ねて」のご案内  
 事務局 四方續夫

見学箇所についてのご案内
平成二十二年六月に奈良県当麻寺・石上神社・天理大学付属天理参考館を見学して以来四年ぶりに大変行きにくい奈良県生駒市や奈良市内の文殊菩薩の生まれ変わりと云われた僧・行基に関係する素晴らしいお寺を見学いたします。 
計画役員一同自信を持って参加をお薦め致します。会員外の参加申し込みも受付ますが、年会費千円を別途頂きます。
  
聖武天皇勅願 行基菩薩開基
大和十三仏霊場第九番札所
 真弓山 真言宗 長弓寺
((ちょうきゅじ)
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長弓寺の国宝の本堂

 (午前十時二十分〜十一時二十分)
 午前十時二十分長弓寺駐車場到着。
現地ガイドさんの案内で見学を開始します。
 奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)とその養子であった長麿(ながまろ)が、若年の聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時のこと、森より一羽の怪鳥が飛び立ったのを見て、親子でこれを追っていました。この時、養子である長麿(ながまろ)が誤って父・長弓(たけゆみ)を射殺してしまいました。聖武天皇はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て十一面観音をおまつりされて長弓(たけゆみ)菩提を弔いました。また、自らも仏教に帰依され、この寺を深く信仰なさいました。時に神亀五年(七二八)聖武天皇が二八歳の頃だと伝えられています。本尊十一面観音の頂上の仏面は、聖武天皇の弓の柄で彫られているという逸話が残っています。 平安時代には、桓武天皇の頃、藤原良継が伽藍を整備し丈六(じょうろく)の阿弥陀、釈迦、四天王を安置して崇敬されました。
また、弘法大師がこの地を訪れた際も、善女龍王を感得されたと伝えられています。その後堀川天皇が、伽藍を修復し大般若経六百巻を施入して、世の平安と諸人の快楽(けらく)を祈られました。しかし、平安末期・安徳天皇の御代には火災にあったと、東大寺資材帳に記録があります。
鎌倉時代の弘安二年(一二七九)には現本堂(国宝)が建立されましたが、当時は蒙古の来襲で寄進が意の如く集まらず約六十年間、素屋根であったようです。現存する本堂は、この時に建立されたもので、今は檜の皮で立派に屋根が葺かれています。
 その後室町時代の応仁の乱で、山名宗全の落人による重宝破壊、戦国時代には織田信長によって寺領が没収、明治の廃仏毀釈(きしゃく)によって寺運は衰退の一途をたどりましたが、昭和十年の大解体修理を経て今も本堂が現存しています。また、長弓寺は大和十三仏霊場の「第九番札所」として、一周忌の守り仏、午年生まれの仏、勢至菩薩(せいしぼさつ)をお祀りしています。
(国宝の本堂をバックに記念撮影を号車
毎にしますので、ご協力をお願いします。)

昼食:
ホテルアジール・奈良アネックス
電話:0七四二―三二―二五七七
奈良のお土産も購入できます。
(十一時五0分〜午後一時)

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霊山寺の国宝の本堂

登美山鼻高(とみやまびこう)
霊山寺(りょうせんじ)
 (十三時二十分〜十四時時二十分)
 霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。
敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(六七二)官を辞し、登美山に閑居しました。天武十二年(六八四)四月五日よりニ十一日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたのです。
 神亀五年(七ニ八)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平六年(七三四)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平八年八月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。

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霊山寺の国重文の三重塔

 平安時代、弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られました。それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言宗の二宗兼学の寺となりました。
鎌倉時代には北条氏の帰依厚く、弘安六年(一ニ八三)本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、僧坊二十一ケ寺という所説からも非常に栄えました。その後、豊臣秀吉公の社寺政策により寺領百石を与えられ、また徳川幕府にも受け継がれ、御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣そして幕府の武運長久を祈願して参りました。
 ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減二00体以上の仏像焼却の運命をたどりました。しかし本尊薬師如来のご加護と、弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興し、今もなお国宝重文建物六棟、重文仏像宝物三0余点を所蔵し、隆盛を保っています。
境内にある一、二00坪の薔薇庭園は先代住職の戦争体験から平和を願って、昭和三十二年に開園されました。二00種二、000株の色とりどりの薔薇が心の安らぎを与えてくれます。
(国宝の本堂をバックに号車毎に記念写真を撮影しますのでご協力をお願いします。)

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竹林寺の僧・行基のお墓

律宗 竹林寺(ちくりんじ)
(十四時四十分〜十五時二十分)
生駒市にありご本尊は文殊菩薩騎獅像〔もんじゅぼさつきししぞう〕です。
奈良時代に僧行基〔ぎょうき〕が開創したと伝えられています。行基が建てた四十九院の一つ生馬仙房〔いこませんぼう〕に比定されますが、詳細は不明です。文暦二年(一二三五)に竹林寺の僧によって文殊堂付近にあった行基の墓所から舎利瓶〔しゃりびん〕が発掘されて以降、行基信仰が盛んになりました。西大寺中興の祖叡尊〔えいそん〕・その弟子忍性〔にんしょう〕などの南都の僧も止宿し中興しましたが、明治の廃仏毀釈によって寺勢は衰退に至り、平成九年(一九九七)舎が整備されました。



一、期日 平成二十六年六月四日(水)
二、集合場所・時間は乗車場所により違
いますので、出発予定より十分ほど早くご集合願います。
三、見学箇所:長弓寺、霊山寺と竹林寺
四、参加費 お一人九、000円(貸  
 切バス代、昼食代、拝観料及び入館料、
心付、手作り記念写真二枚の代金を含
みます。)
五、募集人員 九十名(京都交通貸切バ
 ス二台予定)
六、申し込み方法 五月十五日(木)までに参加者全員の〒番号・お名前・ご住所・電話番号・バスの乗車場所を明記し、葉書にて申し込み下さい。特別緊急以外の電話申し込みはお断りします。
七、申込先
 〒番号:六二三―000四
 綾部市多田町後路二八
 四方續夫 宛


                  行 程 表
@号車:上杉バス停=白道路公民館=物部バス停=新庄バス停=栗文化センター=綾高前バス停= 7:15 7:25 7:35 7:40 7:45 7:50
=綾部駅北口(合流)=綾部大橋バス停=以下2号車と同じ。
    08:00    8:05
A号車:市野瀬バス停=大町バス停=寺町バス停=井根口バス停=十倉バス停=綾部駅北口)====7:15  7:20   7:25 7:30    7:40   8:00合流
=綾部大橋バス停=山家バス停===やまがた屋==京都縦貫道==名神高速道=山崎JCT= 
 8;05    8:10    (休憩)               (休憩)
=長弓寺駐車場=======昼食:ホテルアジール奈良アネックス==霊山寺=====竹林寺==
10:20頃到着出発11;20 11:50(買物)出発1時  1:20 2:20 2:40
====壱分IC==大山崎経由=====京都縦貫道=やまがた屋============
出発3:20時間厳守             4:45(休憩)5:00               
A号車=山家バス停=綾部大橋バス停=綾部駅北口=十倉バス停=寺町=大町=市野瀬バス停   5:40頃   5:45  5:50  6:10  6:20頃   6:30頃     
@号車=綾部大橋バス停=綾部駅北口=綾高前=栗文化センター=新庄バス停=物部バス停==    5:45頃   5:50頃 5:55 6:00頃 6:05頃  6:10   6:15
=白道路公民館=====上杉バス停
 6:20       6:30頃
      
八、受付と出発案内は申し込み締め切り
後、葉書にてお知らせします。

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