2013/12/30

山陽の文化財・史址を見る!9.国宝の二王門を持つ四国88ヶ所霊場第51番の石手寺!  文化財研修記

 石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市石手にある真言宗豊山派の寺院で熊野山(くまのさん)、虚空蔵院(こくうぞういん)と呼ぶ。本尊は薬師如来。四国88ヶ箇所霊場の第51番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。
ご詠歌:西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽
 寺伝によれば、神亀5年(728)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野12社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729)に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892)河野氏に生まれた子どもが石を握っていという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。しかし、永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。
 境内の山門(二王門)は国宝。三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318年)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ、鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく、入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先(みてさき)とし、中備(なかぞなえ)は正面は三間とも本蟇股(ほんかえるまた)、側面は間斗束(けんとづか)とする。門内に安置する金剛力士(仁王、二王)像は鎌倉時代の作で愛媛県の有形文化財に指定(寺伝では運慶一門の作というが実際の作者は不明)。本堂( 本瓦葦き、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂。鎌倉末期、重要文化財。)大師堂 ( 弘法大師像が安置されている。かつては壁に正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書堂」とも呼ばれていたが、壁は第二次大戦中に塗りなおされている。)三重塔(周りで四国八十八箇所のお砂踏みができる。国重要文化財。)訶梨帝母天堂:訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀る堂。鎌倉末期。妊婦は堂周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習がある。国重要文化財。)茶堂大師、鐘楼 (国 重要文化財)

1.石手寺標柱
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2.珍しい弘法大師銅像
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3.珍しい錫の観音立像
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4.手水舎と境内
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5.修復中の珍しい手水舎
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6.二王門への参道
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7.国宝の鎌倉時代の二王門
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8.国重文の本堂を見上げる!
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9.国重文で建長3年(1251)の銘のある銅鐘と鐘楼
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10.国重文の護摩堂
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11.国重文の三重塔
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12.国重文の訶梨帝母天堂(鬼子母神)
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13.大師堂右側と護摩堂など
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14.大師堂
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15.本堂を間じかに見る!
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16.国宝二王門を裏側から見る!
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17.国重文三重塔を再度見る!
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18.石手寺の参道を見る!
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