2013/11/29

紀州の文化財・史址を見る!49.国重文の楼門・唐門・本殿を持つ紀州東照宮!  文化財研修記

和歌山市和歌浦には元和7年(1621)に徳川家康の十男である紀州藩祖・徳川頼宣により南海道の総鎮護として創建され、関西の日光とも称される。本殿は伝・左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵がある。東照宮は、祭神を徳川家康( 東照大権現)、初代藩主の徳川頼宣( 南龍大神)を祀っている。西には天満宮が、東には玉津嶋神社が位置する。 元和5年紀州初代藩主として入国した徳川頼宣(1602〜61)により、東照大権現を祀る東照社として建立された。頼宣の紀州入国とともに計画され、元和6年(1619)起工、元和7年(1620)に竣工・遷宮式が行われた。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。現在は頼宣も合祀している。かつての別当寺は天曜寺。
 東照宮の例祭は、元和8年に趣向を凝らした絢爛豪華な風流(ふりゅう)の祭りとして創始されているが、江戸時代には、国中第一の大祭であった。諸国から多数の見物人がきたという。明治以降も和歌祭りと呼ばれて、大勢の観衆を集め、親しまれている。
 鬱蒼とした木々に囲まれた東照宮参道は青石が敷き詰められ、両側は低い石垣で区切られる。鍵の手で折れ曲がると、急勾配の108段の石段にたどり着く。参道と石段の両側には、家臣団が寄進した石灯籠が並ぶ。 高台の南端には、楼門が南面し、その両脇に東西廻廊が建つ。高さ約2mの石垣により一段高くなった社地北側には、唐門と瑞垣(みずがき)、その奥には正面に拝殿・石の間・本殿を一つの建物にまとめた権現造りの社殿が建つ。かつては社殿の右に三重塔、左に薬師堂があった。 社殿の建築様式は伝統的な和様を用い、様々な彫り物で飾る。内外部共に黒漆、赤漆を塗り、複雑な組物や彫刻類には極彩色を施し、鍍金の飾金具を施す。代表的な江戸時代初期の建造物である。この豪華な社殿により、俗に紀州の日光と称される。拝殿・石の間・本殿、唐門、東西瑞垣、楼門、東西回廊が重要文化財(建造物)に指定されている。

1.紀州東照宮
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2.鳥居
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3.駒札
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4.長い参道
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5.参道途中の稲荷大明神
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6.103段の石段参道「侍坂」から楼門を見上げる!
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7.国重文の楼門(表)
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8.国重文の楼門を内側から見る!
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9.手水舎
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10.国重文の唐門・本殿
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11.駒札
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12.和歌祭の御所神輿
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13.同上
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