2013/10/22

紀州の文化財・史址を見る!33.弘法大師中興で綾部大本で合気道を完成した植芝盛平の墓のある高山寺!  文化財研修記

  田辺大師とも呼ばれる名刹高山寺は、聖徳太子の御草創、弘法大師御中興の、由緒ある古刹として広く知られ、いろいろの故事来歴が伝えられているのであるが、今日では厄よけ大師の本山と言われて日曜日や祭日には子供連れの参詣者も多く南紀の名所になっている。田辺市郊外の高台にあって風光明媚で、山上から見おろすと田辺市街は一望の中にあり、遠く瀬戸崎太平洋を望見することもできる。市内から参詣をかねて散歩するにも極めて適当な距離にある。)
 今から13数十年数十年の昔第33代推古天皇の時代に、熊野の国牟婁の郡に、お金持ちで智識の豊かな一人の長者が居た。人々は牟の長者と呼んで非常に尊敬していた。
 長者はある年、都に出て聖徳太子の人格に深く感動し心から傾倒したのである。仏教が渡来して、まだ間もない頃であったが、太子は深く仏教に帰依し各地に寺院を建立されていた。長者もまた太子の感化をうけて熱心な仏教徒となった。
 聖徳太子は、上宮太子(じょうぐうたいし)とも申し上げる。非常に英邁な御方で、推古天皇(女帝)の御即位と同時に御歳21才で摂政となられて、薨去されるまで28年間、政治をお執りになった。その間当時の先進国随唐(中国)の文化を取り入れることに大いに努力されたので、日本の文化はこの時代に画期的な進歩をとげて、空前の大功績を残されたのである。それで工芸建築の仏さまとしても、今日に至るまで非常に尊崇されている。
 長者は太子の御意をうけて、多年蓄積してきた私財をもって歳月をかけ、荘厳な御堂を南面山に建立した、そして勧修学問寺と名付けた。高山寺と改めたのは遥に後世のことである。
 尚この寺には南方熊楠や綾部の大本で合気道を完成した植芝盛兵の墓もあります。
最後にクリックして見て下さい!

1.見事な自然石の手水舎
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2.鐘楼
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3.文化13年(1816)建立の多宝塔(県指定文化財)
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4.同上 アップした多宝塔
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5.本堂
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6.五輪塔など
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7.大師堂
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8.寺の裏にある薬師堂や庭園
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9.下記をクリックして、植芝盛平の田辺のお墓や綾部市にある記念碑や三代目合気道当主の技を見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/398.html

10.又、この高山寺には明治の偉大な植物・生物・菌類学者の南方熊楠のお墓があります!
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