2013/9/16

紀州の文化財・史址を見る!17.高野山奥之院7.!  文化財研修記

 寺院群の東端にある一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院である。一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。
 奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は10万基とも10万基とも言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立した。日本古来の信仰では、山中は「他界」であり、死後の魂の行くところであった。高野山周辺には、人が死ぬとその人の頭髪を奥の院に納める「骨上せ」(こつのぼせ)という風習がある。こうした古来の山岳信仰に、弘法大師の永眠する土地に墓碑を建てたいという人々の願いが加わって、この石塔群が形成されたものと思われる。今回は中の橋から奥之院へ。

1.慶長4年(1599)島津義弘・中垣公が高麗の戦いの両国の霊を慰める碑の「駒札」
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2.同上碑
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3.芭蕉の発句碑
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4.安芸浅野家供養塔
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5.地蔵堂と結城秀康(越前松平家)石病
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6.豊臣家墓所
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7.織田信長公供養塔
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8.御廟橋
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9.水向地蔵の駒札
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10.水向地蔵
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11.右、燈籠堂、左は弘法大師の眠る奥之院(撮影禁止)
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