2013/8/21

紀州の文化財・史址を見る!4.女人高野別格本山の高野山真言宗の慈尊院!  文化財研修記

、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院で女人高野本山と呼ばれる慈尊院(じそんいん)は本尊の木造弥勒仏坐像は国宝(秘仏)見れませんが、境内は国の史跡「高野山町石」である。本堂弥勒堂はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部でもあります。
 弘仁7年(816)、弘法大師空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。
 高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海は9度以上に頻繁に20数キロメートルに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられたという。
 空海の母は承和2年(835)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。

1.慈尊院橋を歩いてわたる!
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2.慈尊院山門
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3.弘法大師堂(護摩堂)
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4.和歌山県指定文化財の多宝塔(寛永元年(1624)再建のもの)
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5.国重文の弥勒堂と応永8年(1401)筆頭荘官高坊行敏(たかぼういくとし)寄進の石燈籠
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6.乳型絵馬などが奉納されています!
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7.裏側の本堂
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8.県指定文化財の土塀(弥勒堂が此処へ移築された時、この築地塀も同時期移築されたものと推定されています。延長延べ250メートル)
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9.境内の一部
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10.一番目の国指定史跡「高野山町石」
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11.同上 駒札
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