2013/8/17

紀州の文化財・史址を見る!2.紀の川市にある紀伊国分寺跡!  文化財研修記

和歌山県紀の川市東国分にある聖武天皇の発願で鎮護国家を目的に建てた官寺である国分寺の一つである紀伊国分寺(きいこくぶんじ)がある。山号は八光山、院号は醫王院。
 現在の紀伊国分寺は、旧紀伊国分寺の講堂跡に位置し、新義真言宗に属している。旧紀伊国分寺境内は、国の史跡に指定され、史跡紀伊国分寺跡歴史公園として整備されている。紀の川市歴史民俗資料館が隣接している。
 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔により、造営が開始され、天平勝宝8年(756)に主要伽藍が完成した。南から南門・中門・金堂・講堂・軒廊・僧坊を置く。塔は金堂の東前方に、鐘楼と経楼は金堂の東西後方に配置されている。回廊は中門から塔を囲み、講堂につながっている。東側は雑舎に当てられたものと推測されている。塔跡は一辺16.4メートルの瓦積み基壇上に三間塔婆の礎石が旧位置に残っている。
 創建当時の境内は不明だが、講堂跡を中心に2町(約218メートル)四方が境内の名残を示している。
 元慶3年(879)2月22日に火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。その後、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建された。また、根来寺の末寺になった。天正13年(1585年)の紀州征伐で根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍を再び焼失したが、元禄年間に本堂が再建された。
 昭和3年(1928)2月7日、国の史跡に指定された。昭和48年(1973)から昭和50年(1970)の発掘調査により、寺域が二町四方と判明し、伽藍配置・規模が確認された。昭和60年(1985)国の史跡に追加指定された。

1.紀伊国分寺跡歴史公園案内板
クリックすると元のサイズで表示します

2.広大な史跡紀伊国分寺歴史公園
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上 案内図
クリックすると元のサイズで表示します

4.紀伊国分寺跡本堂(現在の建物は元禄時代(1688〜1703)のものです。)
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.金堂跡
クリックすると元のサイズで表示します

7.国分寺塔跡
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

9.国分寺跡本堂を遠方より見る!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ