2013/8/15

紀州の文化財・史址を見る!1.橋本市の古社・隅田八幡神社!  文化財研修記

 和歌山県橋本市隅田町垂井622番地番地には主祭神の誉田別命、足仲彦尊、息長足姫命(神功皇后)を祀る隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)がある。
 神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、この地に滞留された旧跡にして、貞観元年(859)に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれている。
 寛和2年(986)摂政・藤原兼家が山城国男山にある石清水八幡宮の境内に建てた三味堂の料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進して、ここに石清水八幡宮社領紀伊国隅田庄が成立したという。
 やがて永祚2年(990)年には国免庄としての隅田庄となり、万寿5年(1028)には検田使が立ち入らない隅田庄となった。
さらに、延久元年(1069)年の荘園整理令にかかわらず、同4年9月5日づけ太政官の牒によって、石清水八幡宮の荘園として認められる。
 以降、石清水八幡宮によって隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮として勧請された。
天永元年(1110)年に隅田庄内の豪族・長(のちの藤原・隅田)忠延を隅田八幡宮の俗別当および隅田庄の公文(庄官)に任命して、隅田八幡宮の管理および隅田庄の支配をさせている。
藤原忠延は、隅田氏の祖といわれ、以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の両職を隅田氏が世襲し、隅田八幡宮の経営、祭祀権を隅田庄々官としての管理権に強大な力をもった。
その後代々地頭職を兼ね武事を専にして殿堂を建て祭式を厳にした。
永禄3年(1560)年2月松永彈正久秀の来攻、社殿が焼失、慶長年間に再建され、後文政2年(1819)年に焼失、同5年(1822)に再建され現在に至っている。
 尚、神社所蔵の国宝の人物画像鏡は我国最古の金石文(きんせきぶん)の一つであり東京国立博物館に寄託されている。又この神社の祭礼は岩清水八幡宮とよく似ており秋祭りは神輿の渡御(とぎょ)などは伝統を残して和歌山県民俗文化財に指定されている。

1.隅田八幡神社の石燈籠と随身門
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2.随身門の天井を見る!
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3.随身門から拝殿を見る!
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4.夏越の茅の輪(なごしのちのわ、6月行われる神事でこの茅の輪を8の字潜りで2回廻って拝殿に参拝して元気に夏を過ごすことを願います。)と拝殿
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5.拝殿
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6.同上
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7.同上
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8.拝殿裏から本殿を見るが上手く撮影できません。
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9.境内案内図
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10.神輿蔵
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11.国宝の人物画像鏡は我国最古の金石文(きんせきぶん)説明板
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12.摂社 隅田恵比須神社
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13.息長足姫命(神功皇后)が外征後、立ち寄った記念の「馬締石」
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