2013/7/30

畿内の文化財・史址を見る!50.大阪府羽曳野市にある式内社の大津神社!  文化財研修記

 大津神社(おおつじんじゃ)は、大阪府羽曳野市高鷲にある神社で、延喜式神名帳に記載されている、河内国丹比郡の式内社。 厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。おついたち(一日)は一日参りで賑わうが、平素は人通りが少なく、静かである。羽曳野市内の氏神様として祭日には多くの人々が参拝している。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)であり、配祀は大山咋命(おおやまくいのみこと)、菅原道真公が祀られている。 
 大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(885〜930)の御代に編纂された『延喜式』(927)に 「大津神社三座鍬・靱」と明記されている由緒の古い神社で、「丹下の郷の大宮」と称えられていた。 応仁天皇(4〜5世紀はじめ)の御代に、文字をはじめ各種の大陸文化が朝鮮半島を経由して我国に伝来した際、当河内地方は難波の港と大和を結ぶ要路であったことから渡来人が土着し、荒地を開拓し産業を興して、遂に河内文化の繁栄を見ることに至った。 当時、この地方には、百済貴須王(近仇首王)の子孫といわれる「葛井氏・船氏・津氏」の三氏が勢力を張っており、この三氏のうち津氏一族がこの地を領して「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが「大津神社」の発祥だろうと云うのが古来からの定説です。 このように、大津神社は津氏一族の守護神として創祀されたが、津氏一族が朝廷に召されて大和に移住し、また時代の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には、大津神社はこの地方9ヶ村の人々の「氏神」として受け継がれ、「河内の大宮」と称えられた。 その後、仏教の隆盛に伴い、『本地垂迹説』に基づいて「午頭天王社」と称し、境内に宮寺真言宗大宮山南之坊を設けて神仏混淆となり、社僧の支配を受けることとなる。広く世の人々からは、「北宮の午頭さん」と称えられ、親しまれた。 明治維新になると、新しい神社制度が定められ、神仏混淆が厳しく禁じられたため、高鷲・埴生両村の氏神として明治5年5月村社に列格され、「神道大津神社」となった。 第二次大戦後は、占領政策の神道指令によって国家の管理を離れ、昭和21年6月宗教法人令に基づき神社本庁所属の「宗教法人大津神社」として発足、現在に至る。 今日では、羽曳野市西部、南西部、広域の氏神(産土神、鎮守神)として崇敬されている。


1.式内社大津神社標柱
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2.鳥居と参道
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3.駒札
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4.神社説明碑
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5.摂社 平和之社
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6.拝殿を見る!
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7.摂社 大宮稲荷社
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8.拝殿
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9.拝殿内陣を見る!
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10.摂社 大宮戎社
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