2013/7/26

畿内の文化財・史址を見る!48.大阪府羽曳野市にある河内源氏三代のお墓!  文化財研修記

 壺井神社で頂いた源氏の家系によれば、この地に居を構え、河内源氏を興した源頼信は源満仲の3男である。
 源満仲は摂津多田荘に土着して武士団の棟梁としての地位を確立した。大江山の鬼退治で有名な長男源頼光は父の跡を継ぎ摂津源氏、2男頼親は 大和源氏を興している。清和源氏の嫡流は兄頼光の摂津源氏の流れであるが、この河内源氏の流れは鎌倉幕府を開いた源頼朝やその弟の義経につながっており、いわば源氏の本流となった。
 源頼信、頼義、義家三代の墓が、河内源氏のかっての菩提寺であった通法寺跡を中心に点在している。
家系図:
清和天皇−貞順親王−経基王−満仲−頼光├頼親頼信−頼義−義家−為義−義朝−頼朝−頼家
 壺井八幡宮から石段を下り、案内板に従っていくと通法寺跡の再建された山門に至る。
通法寺は長久4年(1043)河内源氏の租源頼信が子の頼義が浄土宗に帰依して、阿弥陀仏本尊としてから河内源氏の菩提寺となった。
 南北朝、戦国時代には兵火で再三焼失。元禄13年(1700)江戸幕府5代将軍のときに、子孫の多田義直の上表を受け、大僧正隆光や柳沢吉保らにより、壺井八幡宮とともに再建されたが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺となった。

1.再建された通法寺の国史跡の山門
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2.源氏館跡駒札
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3.再建された源氏館一部焼失の文章
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4.再建され焼失した鐘楼の一部
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5.通法寺跡にある源頼義公の墓(国史跡)
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6.同上碑文
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源頼義は源頼信の長男。永延2年(988)の生まれ、1075年(承保2年(1075)の没。 父頼信に従ってを平忠常の乱を鎮圧し、早くから坂東の武士に名声を得た。後に前九年の役といわれる戦いで、陸奥の豪族安倍頼時・貞任父子を討ちこれをを滅亡させた。
この功により正四位下伊予守となり、晩年剃髪し伊予入道と称された。前九年の役の勝利により東国での源氏の棟梁としての地位は確固たるものとなった。
墓前の灯籠(奥の方)は1702年(元禄15年)再建の際、柳沢吉保が寄進したものです。

7.源氏三代(頼信公と義家公)駒札と碑文
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8.源義家公墓と源頼信公・大僧正隆光案内碑
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9.源義家公碑文
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10.源義家公墓(国史跡)
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11.同上(源義家は源頼義の長男。長暦3年(1039)当地壺井で生まれている。嘉承元年(1106)没。 義家は「八幡太郎」と号し、前9年の役では父とともに安陪貞任を討ち、出羽守に任ぜられた。後に陸奥守兼鎮守府将軍となり、後3年の役を平定したが、私闘とみなされ、 朝廷からの恩賞には与かれなかった。義家は自分の財産を家来達に分けあたえ、東国における源氏の勢力を固めた。
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12.源頼信公墓(国史跡)
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源頼信は源満仲の3男。安和元年(968)生まれ、永承3年(1048)没。
初め藤原道兼の家人となり、左兵衛尉に任じられ盗賊捜索などに活躍したが、後に藤原道長に仕え上野・常陸・石見・伊勢などの国司を歴任した。鎮守府将軍。 晩年には従四位上・河内守に任ぜられ、この壺井の里に本拠を構え土着し、河内源氏の祖となった。

13.大僧正隆光墓駒札
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