2013/7/24

畿内の文化財・史址を見る!47.河内源氏の源頼義が勧請した壺井八幡宮!  文化財研修記

 大阪府羽曳野市壺井605−2には壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)がある。八幡神として誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、玉織姫・武内宿禰を配祀する。
 源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる・重要文化財)や天光丸の太刀(重要美術品)などが伝わっている。社家の高木氏は、河内源氏・八幡太郎義家の六男・源義時(陸奥六郎義時)の子孫である。
 一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。
 康平7年(1064)5月15日、前9年の役に戦勝して凱旋した源頼義が、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが当社の始りである。この時、地名を香呂峰から壺井と改め、壺井八幡宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。
 その後、源頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として、鎌倉にも石清水八幡宮を勧請した(鶴岡若宮。後の鶴岡八幡宮。)。頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟にして当地に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる。
 南北朝から戦国時代にかけたびたび兵火にかかり荒廃した。現在の社殿は、元禄14年(1701)、徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したものである。
 又、境内摂社として壺井神社(権現)がある。社伝によれば、天仁2年(1109)、源義時(源義家の五男)の夢枕に源頼信・源頼義・源義家の河内源氏3代が立ち、三者を祀れば源氏を守護するであろうと語ったことから、源頼信・頼義・義家の三者を祀る社として壺井八幡宮西側に創建されたのが始まりとされます。
 源氏3社(残る2つは京都の六孫王神社と摂津の多田神社)の一つ。

1.壺井八幡宮一之鳥居
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2.一之鳥居の裏側を見る!
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3.清泉「壺井」の駒札
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4.清泉「壺井」
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5.壺井八幡宮駒札
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6.源義家公28代後裔の三王紀将氏碑
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7.二之鳥居
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8.参道
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9.天然記念樹推定樹齢1000年の楠の木
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10.拝殿
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11.拝殿と本殿を横から見る!
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12.源義家公歌碑
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13.摂社の壺井神社(権現)の鳥居を内側から見る!
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14.壺井神社手水舎と鳥居
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15.壺井神社鳥居と拝殿
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16.石垣青箱子(せいしょうし)の歌碑「若菜つむ河内源氏まつる野と」
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