2013/3/31

大江戸近辺の文化財・史址を見る!14.内藤新宿ど真ん中の花園神社!  文化財研修記

 新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。
 創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた。明治に入ると村社に列格したが、その際、名称は単に「稲荷神社」となった。一説には届出の際に「花園」を書き忘れたという。大正5年(1916)に東京府知事に対し改名願を出し、同年に許可され「花園稲荷神社」に改称した。昭和3年(1928)、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を合祀、郷社に昇格した昭和40年(1965)、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めた。(ウイキペヂアより抜粋)

1.花園神社標柱
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2.花園神社の朱の鳥居
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3.花園神社の別な参道と鳥居
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4.新宿区みどりの文化財指定のケヤキの札
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5.同上 ケヤキ
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6.赤い手水舎
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7.参道を振り返って見る!
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8.見事な舞殿です!
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9.花園稲荷神社(大明神)の鳥居群
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10.花園稲荷大明神
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11.花園神社宝物殿
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12.拝殿
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13.神社扁額(左、合祀の雷電神社(雷さんを祭っています)、中央が花園神社、右合祀の大鳥神社(日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
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