2013/3/27

大江戸近辺の文化財・史址を見る。11.芝東照宮!  文化財研修記

 当初、芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、増上寺内境内に勧請された。
増上寺は天正18年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。 当時は日比谷にあったが、慶長3年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
 安国殿の御神体は慶長6年(1601)正月、60歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。
 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治6年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永18年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和20年戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和38年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和44年(1969)8月復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至る。(神社のホームページからの抜粋文です。)

1.芝東照宮の大鳥居
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2.参道
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3.手水舎
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4.国天然記念物、幹周6メートルもある芝東照宮の大公孫樹(イチョウ)碑と幹!
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5.同上  
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6.芝東照宮拝殿
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7.芝東照宮前から見た東京タワー!
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