2012/12/3

飛騨・信濃の文化財史址を見る!9.飛騨高山の臨済宗妙心寺派の古刹・本覚寺!  文化財研修記

 飛騨国上宝村吉野に荘厳寺(天台宗)という名刹がありましたが兵火にかかり焼失し廃寺となるところを、鎌倉時代の文永年間(1264〜75)に江馬二代平朝方(高原太郎)が再興し、二男時信を出家させ道泉源と名づけ開山としました。寺号は初め本閣寺でしたが、後に開基の俗名、高原太郎平朝方の高原と、法名の本覚寺殿仁峰義海大禅定門の本覚寺をとり、高原山本覚寺と改めました。
 室町時代の後期、世は戦国動乱の時代に入ると、天正13年(1585)佐々成政らが攻め来って火を放ち、堂宇を焼失した。その後、寛永年間(1624〜44)に越中氷見の国の国泰寺の僧、松厳和尚がこの寺に住み臨済宗となりました。山岳修行僧播隆上人が逗留し、世界最古の登山記とも言われる「迦多賀獄再興記」が寺宝として残っています。
 明治38年にふたたび本堂、庫裡を焼失しましたが、明治43年再建されて現在に到っています。

1.高原山・本覚禅寺碑
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2.見事な鐘楼と山門
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3.見事な山門の彫刻
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4.山門を内側より見る!
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5.自然石利用の燈籠
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6.本堂と新しい庫裡
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7.見事な本堂
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8.播隆上人像(北アルプス2897M、槍ヶ岳3180Mへの登山道を切り開き山岳登拝を修行したのが念仏行者の播隆上人です。文政11年(1828)に前人未踏の槍ヶ岳の登頂に成功し、登頂の難所に鉄鎖をかけるなど北アルプスに半生を捧げたことで有名です。)
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9.本堂裏には見事な湧き水が出ています。
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