2012/11/19

飛騨・信濃の文化財史址を見る2.木曽義仲と巴御前の育った宮ノ越宿・義仲館!  文化財研修記

 NHK大河ドラマで「木曽義仲と巴御前」が話題になっていましたので、飛騨は後日見ることにして飛騨高山から国道361号線を下ってきて、361号線では右手に木曽御岳(標高3067メートル)を見て木曽大橋を渡り、中津川から来る国道19号線で「宮の越宿」を見てみます。最初に「義仲館」という記念館で源(木曽)義仲や巴御前等の展示物を見て頂きます。源義仲の霊廟や義仲・巴御前等のお墓のある臨済宗「徳音寺」や「旗揚八幡宮(義仲旧居跡)」、続いて義仲橋や龍神の化身と言われた「巴淵」など順次掲載します。10月中旬の撮影です。ウイキペヂアでは次の通りです。
 源 義仲 (みなもとのよしなか )は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経とは従兄弟にあたる。木曾義仲(きそよしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と称された。
 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って上洛する。連年の飢饉と平氏の狼藉によって荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
 テレビ大河ドラマ45巻では源頼朝に高倉宮以仁王の令旨が直に届くようになっていたが叔父の新宮十郎は当然、この源義仲にも届けている。

1.国道361号線から見た御岳(標高3067メートル)
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2.義仲館(記念館)
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3.同上 正面
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4.義仲と巴御前の像
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5.館内 その1.配下の武将
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6.館内 その2.義仲と巴御前
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7.館内  その3. 配下の武将
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8.源(木曽)義仲所縁の地
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9.義仲一代記(2歳の頃に木曽に逃れてきた駒王丸は、母の小枝から中原兼遠に預けられ養育を受け、後に元服し木曽次郎源義仲と名乗りました。)
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10.高倉の宮以仁王の宣氏受領
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11.平家追討旗揚
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12.平安時代の太鼓・鎧冑
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13.龍神の化身と言われた巴御前の画像
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14.義仲霊廟と義仲・巴御前・母小枝・今井兼平などのお墓のある徳音寺碑
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15.高倉宮以仁王を祭る高倉神社は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/147.html



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