2012/10/23

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第30回与謝野晶子が美男と詠んだ鎌倉大仏の高徳院!  文化財研修記

鎌倉市長谷550には国宝の鎌倉大仏で知れる浄土宗の高徳院がある。住所の通り長谷寺のすぐ側です。この大仏様は阿弥陀如来坐像で、仏身の高さ約11.3メートル、目の長さ約1メートル、周囲35メートル、重さ120トンといわれている巨大な銅像で、建長4年(1252)に鋳造が開始された。寺伝では源頼朝が大仏の造立を計画していたが、果たせず没したという。そのため源頼朝に使えていた稲多野局(いなだのつぼね)がその志を遂げようとして、木造り大仏造営を計画し、北条政子・藤原頼経(よりつね)の助力を得て、暦仁元年(1238)に着工して、6年後の寛元元年(1243)に完成させた。この木造り大仏は周尺で8丈(約24M)、坐像はその半分の12メートルもある巨大なものであった。この木像の大仏と後に建てられた現在の銅造り大仏との関係は明らかでないが、文永元年(1264)に鋳造された奈良県の金峰山蔵王堂の銅版銘に丹治久友の名があり、「大工鎌倉新大仏鋳物師」との銘があるからにして、現在では弘長2年(1262)に完成の説が多い。
幾たびかの中先代の乱、大嵐などで破損し、正徳2年(1712)に江戸の芝の増上寺の祐天上人が、江戸の豪商野嶋新座衛門後援で大仏殿を再興を志し、合せて大仏を修理して、清浄泉寺として、復興し、野嶋新座衛門の法名の高徳院とをとり、高徳院清浄泉寺として、宗派も浄土宗に改め光明寺の末寺とした。その後明治の初めにも大仏殿再建計画があったものの実現せず現在に至っている。

1.高徳院山門
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2.同上
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3.同上駒札
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4.正面門
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5.賑わう手水舎
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6.遠方から見る鎌倉大仏様(10年振りですね!)
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7.巨大な銅の燈籠と大仏様
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8.この巨大な燈籠の後ろの銘は「正徳2年(1712)正月」
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9.巨大な大仏様
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10.大仏様の背後から胎内に入っての撮影です。
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11.与謝野晶子の歌碑
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12.中学校の修学旅行で覚えた銅版の詩
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